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2017年3月

2017年3月31日 (金)

守るべき節度

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 志をもって政界に身をおいたなら、その道に精通するがよい。それをつかんだなら、政治家として胸をはるがよい。そしてもっている洞察力と責任感で最善の道を進んでほしい。それが政治家。

産経新聞の『辻元清美氏「3つの疑惑」、』という報道について、民進・蓮舫代表が、ガセネタといって批判している。
「この記事のみにおいて、国会で答弁される首相の器に、私は極めて疑問を感じざるを得ません」と言い。「ガセネタであったような報道の中身とわれわれの議員のつながりを同列に扱う一国の首相に、私は極めて国民として恥ずかしいと思っています。」と言っている。

いったいこの人は政治家だろうか。いった言葉の責任の重さもさることながら、守るべき節度を欠いた品位のなさを露呈するを知らないような。

政治において、器の小さいひとは、人を批判して優越感に浸る。すぐに怒る。ひとのせいにする。目先のことしか見えない。だから、いった言葉が、のちにいつもわが身に突き刺さる。よって威圧に走る。刹那的に生きようとすれば、学習することも薄れるかのようだ。いわば心が広くない。

なんでも反対したい。そういうのをちょっと古い言葉でいえば、ケチの根性というのだろう。

 

 

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2017年3月28日 (火)

からだが清められる

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 感謝の念にみたされるとき、おのずと心が広くなるような気がする。大相撲春場所で新横綱、稀勢の里が優勝をはたした。大関照ノ富士との2戦2勝は、互いに技を尽くしたいい勝負だった。決まったとき、今まで聞いたことのない歓声が起きた。そして、みんな起立して君が代をうたった。

それはいつものそれと違っていた。うたごえは場内の高揚そのままに、はっきりと聞こえた。うつくしく高らかに場内を圧するようだった。

よくやってくれた。ありがとう。というみんなの気持がそうさせた。それを聞きながら思わず稀勢の里は男泣きした。それは観客と一体になっていい絵になっていた。

綱を締めるときも、横綱土俵入りが終わるときも気持ちが引き締まる。綱を締めるたびに体が清められるというか。と語る稀勢の里、日本人の感覚がでていて、ちかごろない明るい気持になりました。

 

 

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2017年3月24日 (金)

虚々実々の空回り

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 よくわからないけれど、このところもちきりのニュースは森友。それぞれのちぎりちぎりの断片は、問題はあるのかないのか、その軽重もさだかでない。なのに一体、掻き回しているのはだれ、寄ってたかって突っついて何をだしたい。

  寒水魚影絵のごとく潜るとき流す涙はだれも知らない

作者は忘れましたが、そんなこともあるかもしれません。

 

 

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2017年3月19日 (日)

ふと甦ることば

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 ひとつの言葉が人生に潤いをあたえる。なんでもない日々の会話の記憶が、ふと甦るとき、こころの中に清水が流れるような気がします。だれしも親から子へ、そして孫へと伝えれらていく日々のなつかしい言葉づかいがある。

でもそんな言葉も時代とともに忘れられようとしている。青木奈緒さんの『幸田家のことば』(小学館)を興味ふかく読みました。幸田露伴から、幸田文へ、そして母青木玉さんへ伝えられた言葉の数々を、奈緒さんが想い出ふかくつづる。

その中のひとつ、・・欲と道連れ・・というのがあります。『分相応を知った上で、わき起こる欲を抱え、前を向いて歩くのが人生。欲に振りまわされるのは愚かだが、欲がなくなったら人は終わり。』、母が、「欲と道連れ」を言い出すときは決まって楽しい思い出となった。ということです。

また、・・「包む」には庇う心がある・・と書かれています。人はひと皮めくれば生身の本質に近いものがでるけれども、蔽うこと自体は悪いとばかりは言えず、大切なものをまもる意味もある。と書いてある。

そんなその家で普通に使われていた言葉がいくつもでてきて、新鮮な時間が流れていて、いきいきとしていて引き込まれます。話し言葉は、しらずしらず心に響いてこそ価値がある。

先日亡くなった三浦朱門さんが、「リンゴの花びらが風に散ったよな」という日本の風情は英語に訳せるものなのかなあ、といったと雑誌に載っていましたが、このことばも、だんだんと薄れつつあるのかもしれません。思い出せばこの言葉、みずみずしい感じがします。津軽むすめは泣いたとさ、と聞けばしみじみと心が落ちつく気がします。

 

 

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2017年3月14日 (火)

共にがんばった時代

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 歴史の事実よりも、こうであらねばならない、という創作が大好き、もって非難を浴びせることで優位に立とうとする姿は、いかほども前進することはできはしない。朴槿恵大統領の時代が終わった。「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」、という迷言を吐いたが、ひとはその言葉の風をまともに受け小舟のように翻弄された。

しかし、遠いあの時代、かの地で農業改革、学校教育、厚生、鉄道などに力をつくし、米の収穫量は3倍、人口は倍増、100キロだった鉄道は6000キロにのびた。近代化の礎だった。

高市早苗さんの質疑によって、衆議院の外務委員会において、外務省によって報告された古い資料によれば、1939年、日本に居住していた朝鮮人は、100万人だった。1945年には、200万人に増えていた。多くは職を求めてやってきたか、募集に応じてやってきたひとたちだった。現在の居住者は60万人余りという。

みなそれぞれに生活の基盤を築くことに懸命だった。それを受け入れてきた。加害者と被害者の関係は永遠に変わらないのだから・・・、と書くブログもあって愕然としたけれども、創作とプロパガンダに押し流されてはいけない。とても加害者と被害者に定まるはずもない。
アジアでいち早く、近代化のために共にがんばってきた時代だった、そう思います。

 

 

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2017年3月10日 (金)

ちょっと悪い夢

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 よのなかは分からないことが多い。信じた道をあゆむしかないけれど、ときにはじっと時がすぎるのを待った方がいいかもしれない。

森友学園問題の件、こどもたちに、わざわざ、「安倍総理ガンバレ」といわせるのは、不自然。教育勅語を教えるのも不自然。なぜなのか。理事長の押しの強さがあったという。理事長夫人にもそれはみえる。何か日本にはなかったものがみえるような気がする。

教育勅語は悪くないけれど、それを悪用しているのではないだろうか。それは、博愛、衆に及ぼし、日本人は善良たれと教えている。でも、善良であることは、凡庸にも通じる。それを切に望んでいるものがいるとしたらどうだろうか。善良だけでは生きていけない。

いままでどれほど、そこにつけ込まれてきたかもしれない。外には奸智に長けたものもいて、じつにその執念はおどろくものがある。首相夫人でなくとも、善良なるものはだまされやすい。

教育勅語も、「安倍総理ガンバレ」も、伏線ではないのか。手の込んだ計略は安倍首相の失脚をよぶ意図はなかったのか、ちょっと悪い夢をみている。

 

 

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2017年3月 4日 (土)

紡がれる信頼の糸

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 ひとはだれもいそがしい。それでもひとの心をしのぶことはたいせつ。ひとつのできごとで、晴れやかな気持ちになることは、生きる力を与えます。つぎのステップへの触発となります。

天皇、皇后両陛下は2日、ベトナムを訪問され、残留元日本兵の家族と面会された。面会を果たした家族の方は、「本当に感激した」、「生まれ変わったように感じる」と口々に語った。

元日本兵の妻グエン・ティ・スアンさん(93)は、両陛下に手を合わせて「ありがとうございます」と日本語であいさつ。天皇陛下は、「こちらでの生活はいかがでしたか」、「体を大事にね。どうぞお元気で」とねぎらわれ、皇后さまも温かく抱きしめて「健康を大事になさってくださいね。会いに来てくださってありがとう」と話された。陛下の言葉に感極まって涙を流す人も見られたという。

なによりも、信頼の糸で結ばれることはとても大切だと思います。

 

 

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