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2017年4月

2017年4月28日 (金)

行く末は変わらず

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 松の落ち葉は、いつ落ちるともなく落ち、尽きることがないけれど、松は緑をうしなうことがない。いにしえの人びとは、それを見ていたのであります。

その変わることのない松の深い緑を愛で、のびのびとした気風と、和を重んじる風がこの国に吹き、人々はあらゆるものに、一理あることを知り、曖昧の中に、何かしら真理が宿るものとして受け入れる広い心をもっているのでした。礼節も思いやりも、曖昧の中にあると、むかしから気づいていたのでした。

曖昧の中には自由がある。色に染まらない強さがある。そういうDNAのようなものが、いまに受け継がれている。けれどもいまDNAは多様化してきて、いろいろと考えの違いがあって、たとえば政争において、思惑がからめば対立がおきます。

その対立は、たぶん、彼我の正邪の問題ではないような気がします。あれは理解の程度の違いではないかという気がしています。あるいは悲観論が先に立つせいかもしれませんが、そうではなくて、ここは、久しくつづいてきた、この道の行く末を信じようと思うのでございます。

 

 

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2017年4月24日 (月)

良い果実は実らない

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 つらつら思うに生きるために身につく手だては、長い時代性の影響をうけずにはすまないような。だますよりだまされる方が悪い、という思考は、嘘を是認している。嘘つきはどろぼうの始まり、ということわざの対極にある。

嘘も平気、事実であっても絶対に謝らない、何があっても悪いのは向こうであって自分は悪くない。被害者を装って責任転嫁をする。すべては自己中心的なご都合主義、おそらく容赦のない歴史的な環境のなかで身についた。そこには信頼という概念が存在しない、つまり身の処し方として何もわかっていないような。

日本を信頼できますか、という世論調査の結果、タイ、仏、米など平均して76%が信頼できると答えた一方で、中国は17%、韓国は14%だった、という記事がありました。たぶん、彼らは信頼するしないというより、信頼の仕方も、信頼のされ方も知らない、独善こそが身のよりどころとなる人たちの行きつく結果でありましょう。

しかしそのような利己的な思いは、多かれ少なかれ、いつまでも良い果実が実るとは思えないです。逆に、中韓を信頼できますか、と問われれば、おなじような結果がでそうな気がします。それは、うそでごまかしは、性分にあわない、ということでありましょう。

 

 

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2017年4月21日 (金)

もとめるということ

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 何かを求めることが人を動かし、あらゆるものが成長してゆく。日本刀が、刀身はもとより鞘、鍔にいたるまで、美術品と言われるまでの高い水準に到達することができたのは何故か。呉善花さんはつぎのようにいっています。

そこには需要レベルの高さ、求める側の目の高さがあったはず。日本人の需要レベルの高さが、物づくりの水準を高める役割を果たした。と、なるほど、ひとびとがつねに未来への可能性にあこがれを抱いて、求めつづけてきた結果なのでありましょう。

もとめることが、よりよい方へと成長をうながし今があるのだろうと思います。一方で、いまの情報の渦のなかでは、かならずしも求めていないものを、与えられることもあるけれども、それはびっくり水のようなもの、あるいは旨味をだすための塩かげんのようなものかもしれないです。

いま北の情勢がどうなることか心配ですが、金日成、金正日、金正恩と三代にわたって続いてきましたが、その間、民が求めるものが得られたのだろうか、いやいや、多くの餓死者もでたという、そもそも求めることが許されたのだろうか。

かくも永き圧政のもとではひとりひとりの成長の芽がそだつはずもない。文化はどうか、理性や情操は醸成されるのか、非常に不安です。なんとかうまく脱出できればと思いますが、それまでの時間のロスは如何ともし難く、脱出できたとしてもかれらにもわれらにも前途多難がまっている気がします。
いつの日かさわやかな風がふくことを期待します。

 

 

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2017年4月18日 (火)

春のひととき

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 ときには世事をはなれて気をゆるめることも必要で、ひとつの楽しみは外にでること。レインボーブリッジは山手線田町駅から歩いて15分ほど、臨海副都心に架かっている。遊歩道は1.7キロ、高さは海面から50メートル余り、自転車の人は押してゆく。色鮮やかな若いマラソンの男女の一群が過ぎてゆく。

見下ろせば貨物船が白く長い航跡をのこして出てゆく。水上バイクが3つほど飛行機雲のように海上をすべってくる。空は明るい。海は光る。この眺めは爽快。遊歩道を下りれば、海にうかぶ台場公園への道へとつながっている。

台場公園は四角形で、周囲は石積みの土手、黒松の並木、松は他の木に見られないそれぞれの個性の豊かさがある。枝ぶりは様ざまな形をしてひとつひとつが芸術家が宿るようにもみえる。

黒船来襲にそなえ江戸幕府は品川沖に砲台を築いた。ここに立てば、つばなが潮風になびく。砲台は海に向かって静か。新鮮な空気が全身を撫でていく。ここにきてよかったと思う。折にふれてこの景色を思い出せばたしかに、しばし英気をやしなうことができそうな気がします。

 

 

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2017年4月15日 (土)

まじまじと見るがいい

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 恥の文化というのは、信の文化といえるかもしれません。他者に「信」を置いているから恥を自覚できる。そうやって長く文化を醸成してきたのではないでしょうか。韓国の恨の原因は、彼ら自身のなかにある。それは李氏朝鮮500年の歴史のなかで形づくられたという。

恨は自らのコントロールを失わせる。恨は自分勝手、日本に対しては何をしても怒らないと学習してしまったために、日本にも向かう。韓国大統領代行首相が、「日本は歴史を直視すべき」といったようですが、そこに他律的な姿勢がでてしまう。日本無くば成り立たない潜在意識がそこにでている。

いつまでも調子の悪いエンジンのような、その問題は彼ら自身の中にあるが、解決策は彼らの外にある。日本を含む諸外国の姿をまじまじと見るがいい。
民進党も音だけ大きいエンジン、悲観論ばかりで勇気がみえない。支持率が回復しない原因は、彼ら自身のなかにある。その解決策は外にある。それが見えるだろうか。桜散るいい季節に無粋なことを書きました。

 

 

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2017年4月12日 (水)

もっと効率的に

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 新鮮な言葉には人を引きつける力がある。東京へはもう何度もいきましたね、とリフレーンする歌があったけれど、あれも聞くたびに明るくさわやかでした。いま都民ファーストという言葉に人気があるようですが。まあ、何か新鮮な言葉でイメージアップというか媚を売っているような気がしないでもありません。

逆にいままでは都民ファーストではなかったのかといえば、それは都政にたずさわってきた人たちにちょっと失礼でしょう。都民ファーストとは何か、『都民ファーストの都政への具体的な道筋』によれば、その政策の柱は、(1)セーフシティ、(2)ダイバーシティ、(3)スマートシティ、と3つがあげられています。カタカナ言葉でいわれてもぴんときませんが、それぞれ、安全、多様、環境、という意味だと思います。

その中身をみてみると、もう本当に盛りだくさん、こどもや高齢者、障害者などだれでもが優しさを感じられるようになど縷々と政策がならんでいます。まるでキャッチコピーの満載のようで美辞麗句にみえてしまいます。桂文珍さんはずっと前に、落語的学問のすすめ、の中でつぎのようにいっています。

 「あはー、ごちゃごちゃはええねん、ほんで、
     ぶっちゃけた話し、どやねん」

とまあ、どっちにするの、わかるように言うてくれ、ということであります。何も、カタカナにしなくても、安全というのは強くであり、多様はみんなであり、スマートはうつくしく、となるのではないでしょうか。つまり、早い話しが、「みんなで強くうつくしく」、というに尽きるような気がします。

中々前に進みそうにない都政、といっても都民ではないですが、日本の首都、いや世界の大都市東京として、もっとスマートに、というか効率的にやってもらいたいとものだと思います。

 

 

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2017年4月 8日 (土)

多数の中で生かされている

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 道徳心をもってこの国を大切に思うなら、それは多数の一員としての自覚があるといえるでしょう。自己を大事にしながらも、多数があってこその自己の意味がある、と考えれば自ずと人の進むべき道は定まるはず。

いま、テロ等準備罪法案の審議入りに際し、衆院本会議で民進党の議員は、”共謀罪法案”を審議するのは、非人道的であり、言語道断の暴挙だといっています。朝日も人権を大きく制約しかねないと、いうけれど、どれも冷静さを失って、飛躍のし過ぎ。

人道的とか人権という名を借りて、個人を大切しようというのも悪くはないけれど、そのために個人主義に重きを置くなら、エゴイズムになりかねず道徳に反する。多数の中で生かされている一員という自覚はそれぞれがもっているはず。そしてこの国のあり方を信じるなら、「テロ等準備罪法」にわが身が問われるはずもなく、少しも危惧はしない。

人権だ、差別だ、とさわぐことが好きな、遅れてきた分子がいる。もしかしたら、この国をじわりじわりと破壊しようと、身に覚えがある人たちがいるとしたら、それは困ることかもしれない。その声は大きいけれど少数だろうと思います。

 

 

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2017年4月 4日 (火)

清浄な空気の中で

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 さくらは陽春のはじまりを競う。雄大で優美、花も枝も健康なすがたを見せてくれます。水辺にあるさくらもいいけれど、学び舎の庭にさくさくらもいい。3月の終わりころ、埼玉県にある跡見学園女子大学・新座キャンパスの桜をみてきました。(一般開放5/15まで)。

多くの種類の桜が植えられているので、早春から晩春までたのしめるということです。構内は広くたくさんの桜があってゆっくりと回ってみることができます。

学校というところは、若いころのあこがれというか郷愁のようなものがあって、そこにいるだけで何かが心に沁みるような、英気が養われるような気がします。

いまは春休み中、学生のすがたは見えません。あたりはとても静かです。清浄な空気につつまれて去りがたい気がしてきます。

学ぶことは思索のたのしみ、そこで、中々に思うことの浅さを知らされる。そうであるなら、老齢にしてどうせ未熟の身、結論を得るよりも、あいまいもよしとしようか。そうすれば少なくとも、間違いをすることはないと思う。たぶん。でも、できるかどうかあまり自信がない。

 

 

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