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2017年5月

2017年5月31日 (水)

もっと真剣にやってよ

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 「よくここまで見事な印象操作を作り上げると驚いた」という蓮舫代表、以前には、「気持ちいいまでのその忘れる力を何とかしてくださいよ」といっていましたね。もう少し言葉の品性に気をつかってほしいところです。日本人として生きる決意をしっかりともったなら、肩ひじ張らずに楽になれるのにと思いますが、むりでしょうね。

話しは飛びますが、俳優の仲代達也さんが、映画「人間の条件」の思いでを語った記事がありました。あの映画は、まだ何もわからないころみました。大作だけど心が重くなる映画でした。新珠美千代がでていました。

また、話しは飛びますが、その記事を読みながら、ふと伊藤雄之助のことが浮かんできた。『警察日記』、では馬車引きの役をやっていた。ひそかに好きだった人が嫁にゆく。その嫁入り道具を馬車で運んだ帰り道、その人を思いながら、ふるまい酒の徳利を抱いて、いつのまにか道の真ん中で寝てしまう。おらの青はどうした。気がつけば馬車がいない。馬はひとりで家に帰っていた。おらあ馬車引きしかできねえ。というまじめな男に情がうつりほろっとさせる。そういう役柄が好きだった。

黒柳徹子さんが、むかし話していたことだけど、伊藤雄之助と徹子さんが舞台にでていたときの楽屋での会話です。

 「お前さんねえ、役者が舞台で笑ってはだめだよ」

 「だっておかしいんですもの」

話しはそれだけなのですが、記憶にのこっています。役者が、客と一緒に笑ってどうする。役者には役者の仕事があるだろう。役になりきってもっと真剣にやってくれよ、ということでしょうか。あの役者にして、その話しの実感がよくわかるような気がします。

 

 

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2017年5月28日 (日)

たわいもないこと

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 学窓に緑あれば心がやすらぐ。それはたぶん緑には生気が宿っているからでしょうか。初めて来たけれど池袋にある大学のキャンパスに立ってそう思った。緑が多い。赤レンガには時の重みがしみ込んでいる。建物も緑に覆われている。

その中をそれぞれに教室の机につくのであろう学生たちの行き交う姿を見ていると、なんだかすがすがしい気分がしてきます。

いつだったか、ある時点を境にすぱっと過去を切ってしまうとどうなるであろうかと、たわいも無いことを考えたこともあったけれど、いまみればこの学生たちが、それを叶えてくれそうな気がしてきます。若い学生たちは純粋で健康的、将来の明るさをみている。

それはそれとして、元の事務方トップの言葉は非常に重いと、蓮舫代表は言うけれど、いま彼は責任のない立場、その言葉は軽く聞こえる。ある意味、問題というのは、とるに足りないことではないか。小さい小さい。過去と私憤を捨て、あるべき姿は何かと自問すれば、こたえはそれほど違わないはず。

ここはどーんと大きく構えている方が、どれだけ健康的であることかと思うのですが。

 

 

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2017年5月24日 (水)

世界の真ん中で

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 トンデモ質問主意書乱発、政府への嫌がらせとしか思えないようなものが多すぎる、と産経ニュースが伝えていた。その中で、1月に行われた安倍首相の施政方針演説の中にあった、『世界の真ん中』とはどういう意味か、と問う民進党議員の質問主意書がありました。

政府が出した回答を見ると、世界の平和と繁栄のため能う限りの貢献をしていく考えを示したもので、地理的な概念を示したものでなく、我が国の国際貢献のあり方を比喩的に示したもの。としています。これなら、質問をだすまでもなく、ごくまともなもので、予測できそうな回答だと思います。

中心でも核心でもなく、真ん中、というくだけた言葉をえらんだのは、耳に入りやすいということもあるでしょうが、これは推測なのでお許しいただきたいですが、安倍首相はもうほんとうにいやになっていたのではないでしょうか。

オバマ政権において、先の安倍首相の靖国参拝に対して、駐日米大使館は、「米国政府は失望している。」 と表明しました。終戦記念日を前にして、稲田朋美防衛相は、自衛隊の拠点があるアフリカ東部の ジブチを訪問し、全国戦没者追悼式に出席できず,靖国にお参りすることもできなかった痛切の極み。

アメリカの学者も日本の指摘に対して、教科書の間違いを正そうともしない。みなイデオロギーに染まって、いくら言っても事実には見向きもしない。うそでもなんでも勝手に線引きをする国もある。国連のいろんな委員会だって同じ。そういう外にも内にも偏った世界がある。安倍首相でなくてももういやになります。

ではどうすればいいか。先の安倍首相の施政方針演説の中には、『世界の真ん中で』が4回でてきます。世界の真ん中で輝くとは、どちらの色に染まらない平衡感覚を大事にしている、それが日本だ。そういう痛切な思いが込められているのではないかと思います。

 

 

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2017年5月20日 (土)

純粋な姿で精を

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 洋々と未来が広がっている。希望あるところを進め。時に風つよく荒波に遭うやもしれないけれど、そこは舵取りの手腕にかかっている。未来を前にして指導者に要求されるのは、未知の新しきものへの意欲、創意を凝らした道への可能性をしめすことではないでしょうか。

国政でも都政でも、その役割りは変わらないと思います。活性を呼び起こすビジョンを掲げることに何が不都合がありましょう。何かが示されたなら、純粋な気持ちで意見を論じ合えばいいだけの話し。

いま加計学園の問題、官僚が総理の意向を思って動いたのか、あるいは官僚が利用したのか、それとも怪文書か知らないけれど。出所不確かで批判する新聞と野党。この人たちは何を考えている。見え見えの落とし穴を掘るに精を出し、自ら落ちるか。トラブルメーカーの浪費にみえますが。

 

 

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2017年5月16日 (火)

ことばの再発見

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 穏やかでまじめ、誠実をこのむ風土がこの国の歴史を育ててきた。ひとことでいえば、それは良心的なるものと何かしらの責任感が人々の心の底に流れていたからだろうと思います。ドナルド・キーンさんは、プライバシーにあたる日本語は存在しない、といっていましたが、日本ではむかしから、ふだん私事を守る必要がなく無防備でいられたのでした。

これもお互いに良心的にものを考えることの結果だろうと思います。そういう風土があるがゆえに、独特の丁寧語も生まれ、物や動作にも「お」をつけて丁寧に言う習慣が生まれたのだろうと思います。お花やお習字、お稽古、あるいはお酒、お野菜などなど、考えてみれば、これは処世術というか、精神衛生上、おだやかさを養うにも、他に例をみないすぐれたことばの発明だと思います。

先日、テレビをつけたら、「早く起きた朝は」、をやっていました。その中で、森尾由美さんが、たぶん娘さんに食事をおごってもらった話しのようだったけれど、「お給料」という言葉を何回か使っていました。お子さんが貰ったお給料の話しです。その言葉づかいに新鮮なものを感じました。母子が互いを思い、そのやさしさが伝わってきます。

これは女性ならでのやわらかい話し方でした。お給料、ものを大切にあつかう、こんないい言葉があったのだと、ちょっと胸を打たれたのでした。

 

 

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2017年5月13日 (土)

悪い夢をみているような

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 過ぎ去ったことは問わない、いまはもう清らかな気分でいたい。それが水に流すということでしょうか。不浄から、もとの清浄な身へもどること、時の流れが成熟へとうながした結果ともいえるでしょう。

韓国には、水に流すという文化がないといわれています。あたらしく選ばれた文在寅大統領は、著書の中で、親日派を清算する、といっているようです。清算するとは、自己中心による上からの目線、こらしめるということでしょう。それで韓国がよくなると思っているらしいところが、なんともなやましい気がします。

親日派に対する誤解があるような気もしますが、そうやって過去にこだわり水に流せないなら、おそらく新しい時代がくるはずもないと思います。水に流すとは、広い心に立って多様を知ることでもあり、人それぞれの存在の意義を尊重することでありましょう。

それなのに、親日派を清算することで同胞を非難して何になるのでしょう。過去ばかり見ていてどうする。自分たちで、自分たちをいじめ苦しめてどうする。みんなして自虐を振りまわす精神はどうかしている。韓国は日本にとって最も重要な隣国、ということになっていますが、それはそうとしても、とてもとても、悪い夢でもみているような気分です。

 

 

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2017年5月 9日 (火)

ある映画の記憶

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 月丘夢路とはなんという美しい名前だろうか。泉鏡花の原作の映画「高野聖」を思いだします。旅の僧は、山中に迷い込み難渋し、一軒の家にたどりつき、妖しく美しい女にであう。なぜか牛や蛙がいてしきりに鳴く、しようがないねえ、と女は裸身を見せながら動物たちに話かける。

あとでわかったことだが、女は、旅の者を世話し、そして、息を吹きかけ獣の姿に変える妖力があるのだった。牛や馬にされたものは町に売られてゆく。だが、ふしぎとその旅の僧は、姿を変えられることなく放され難をのがれたのだった。

その女を演じたのが月丘夢路さんだった。旅の僧は葉山良二、遠いむかしに見た深山幽谷のものがたりの印象は鮮烈でした。色香に落ちるものへの罰なのか、世捨て人の反逆か、美しくもおそろしい幽玄な世界に誘い込まれる。

映画「高野聖」は、人生の一ページに刻まれ、いまも思い出すことができます。月丘夢路さんという人がいたということ。その功績をたたえたいと思います。

 

 

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2017年5月 6日 (土)

人を惑わす言葉

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 ネガティブな言葉は、人の心を曇らせることがある。気づかずに心の底に沈殿していることがあります。このごろよく耳目に触れる言葉は、暴挙とか、違憲、職権乱用あるいは危険な改悪、人権、などなど、とってつけたように針小棒大にして必ずしも説得力はないです。

説得力はないけれども、はっとするようなインパクトがあって、その怒声ともとれる言葉はひとの心を惑わすような気がします。

教育勅語を全否定したい朝日社説は、戦前の亡霊、といって悪しざまにして怒っていますが、これもひとを惑わすこと大なるものがあると思います。

ほんの一般人のつぶやきとして言わせてもらえば、朕=国家、なのだというひとがあって、なるほどそういうことか、なれば、旧い考えといわれても、国家あっての臣民でありまして、多くの他者があってこその自分であるなら、個人のわがまま気ままより、後につづくひとたちのためにも、やはりここは、この国がいつまでも健康であるように心すべきで、そうあって欲しいと思います。やはり教育勅語は格調の高さからも一つの文化ともいえ、否定されるものではなく、大切にすべきものだと思うのであります。

 

 

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2017年5月 2日 (火)

時は流れている

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 経験というのはもう昔のことで、過ぎてみればすべて終わっている。ひとつの時代として振り返ってみれば、いろいろあったけれどやり終えた達成感がある。それが昭和という時代ではなかったかと思う。

時代とともに消えてゆくもの、生まれてくるものあって、くらしも知識も豊かになった。豊かさの中に歴史が流れる。みなそれぞれに、一生懸命だった、時の流れは避けて通ることなどできなかった。それはいつのときでもそうだろう。険しい山も過ぎてみれば、美しい裾野が広がってみえる。

やたらに銅像にこだわるいわゆる歴史戦というものは、有効なのかどうか、いまや世界はダイナミックに動いている。人類は前に進んでいる。ひとはみな忙しい。むずかしいことはどうでもよい。

偶像をたて幻想を碑文に仕立てたとて、時間が止まるわけでもない。それで身も心も豊かになれるものでもない、ただ憐れさをさらしているしかない。それでよろしいならそうなされるがよろしい。

 

 

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