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2017年6月

2017年6月29日 (木)

真摯でありながら魔手が

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 だれしもこころ静かに真摯に考えるなら、おそらく正しい道を進むことができるだろうと思います。けれども、自分では気づかないうちに、どうすることもできない何かにとらわれてしまうことは、おそらくあるのだろうと思います。

たまたまテレビで、ちらっと見える豊洲問題、反対しているらしい人の強圧的な発言の品のなさは、一瞬にしてひとの心を寒からしめるに十分でありました。国会での質問も同じようなことがありますが、ひとりの人が人に命令できるのだろうか、と思ってしまいます。

加計学園の件でも、説明責任を果たさなければならないと新聞も書きますが、たぶんそれも大切なことでしょうけれど、みなが説明を真摯に聞く耳をもっているかといえば、それはちょっとあやしい。

稲田防衛大臣の自衛隊としてもお願い、という失言は撤回されました。けれど、民進、共産、自由、社民の4党は、罷免を要求する。これをみてもかれらには、聞く耳もたずの感が私にはあります。

説明責任を、ということばに納得しやすいですが、その前に、一体何が問題なのか。分かるように説明してくれるメディアはないような気がしています。

ひとが多数で生きることの課題は、互いによりよい方向を目指すことでしょうが、いまの政争は必ずしも同じ方向をもとめていない。いま、声の大きさに左右されて、ともすれば知らず知らずに寛容と和の精神が破壊の方向に歩まされている気がしないでもありません。だれもが真摯でありながらも、どうすることもできない魔手にとらわれているのかもしれないです。

 

 

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2017年6月25日 (日)

自然の生命の綿々と

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 生命創造の偉大なメカニズムによって、人ははるか遠い祖先より受け継がれてきた生命体なのだ。草木一切の大自然に、ひとの生命は依存している。

昭和26年、千葉検見川東京大学グランドで、縄文時代の船だまりといわれる遺跡発掘がおこなわれた。作業が明日で打ち切りという日の夕刻、中学の女生徒が土の中から蓮の実を見つけた。

古代に眠りについた蓮の実は、やがて2000年の時を経て目覚める。奇跡的に咲いた蓮の花は大賀蓮と名づけられた。

ここは千葉公園、記念碑には、『・・この蓮の永久に生命あらんことを念じて止まない』、と刻まれています。蓮の花は、見るものにやさしさがあります。古代の人たちも、ちょうどいまごろの季節、この花をみていたのでありましょう。

 

 

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2017年6月21日 (水)

ゆるがない安定がよい

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 雨は人を落ちつかせる。雨は静か。ゆっくりと時間がながれる。草木を生き生きとさせる雨。あじさいの葉に水玉をつくり、先端から落ちていく。雨をじっとみるのもいいです。考えてみれば、長い時間をかけて日本の技術力も人望も得てきました。

日本の安定感、その存在価値が世界に貢献にしている。不安定になれば、周辺国に何が起こるか知れず、少なからず混乱をまねくことが予測されます。国会とメディアによる安倍政権叩きがつづきますが、それもいいでしょう。それは、国家の一大事というほどのことでもないし、疑惑、疑惑という。そんなこと、やいのやいのといっても、うちわのはなし。平和なもんだと思います。

悪いほうに向かっている、何がなんでも止めなければ、という人もいるけれど、長い目で見てみれば、日本のこの安定はゆるがないと思います。だれが政権をとろうと、独裁国ではあるまいし、日本人のひとりひとり、いうなれば日本全体が国を動かしている。それを信じるからです。作った法によって、悪い方に向かうことはありえないと思います。みんな法の秩序と用いる方を知っているからです。

 

 

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2017年6月18日 (日)

非凡な人の交友の輪

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 非凡なる人の交友の軌跡を見るとき、なんとなく憧れというか親しみがわいてきます。武者小路実篤は色紙に、『仲よき事は美しき哉』 と書いていますね。あれはたぶん、友と寄れば議論しあって時間を忘れる、そういう熱き血がながれる、そういうことをいったのではないかと思います。

つまり仲よきことは、生きる力になり、生命の若さそのものということかもしれません。それが美しいと。年老いてもなおその心は失われず残っている。

先ごろ野際陽子さんがなくなって、黒柳徹子さんは、NHKのころ、「あなたはアナウンサー、私は放送劇団、その頃からもう気があっていて、一緒にフランス語を習ったり、同じお洋服屋さんで、お洋服を作ってもらったり。・・」と手紙を書いた記事がありました。

そんな、おふたりの仲良しの様子をみていると、私たちの心に、ひとつの安らぎを与えてくれる気がします。向田邦子さんもどこかに書いていましたが、留守番電話に、黒柳徹子さんの声が延々と残っていて、それを宝物にしていると。なんとなくなっとくできるいい話しでありました。

非凡な人のそれぞれの交友の輪もまた、よい影響を与えてくれていると思います。それは共感と愛惜の念を呼び起こします。

 

 

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2017年6月15日 (木)

褒めることのむずかしさ

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 すこしでも褒められれば、やっぱりうれしい。一日、血のめぐりがよくなって健康にもよろしい。だれしも精一杯の自負があって、人並みにいっぱしの振りをしたいから、褒められるとやる気がでてくる。

でも、人をほめることはむずかしいです。見る目がなかったらだめだし、機転も度量もいる。一方、けなすのは、いたってた易いです。けなされたほんのひと言が、ぐさりとくることもあるけれど、そこは抑えるとして、でも人はなぜけなす方が好きなのでしょう。

嫉妬心か、闘争心か、それとも何ものかに踊らされているということがあるかもしれないです。いま世は、政界を見ても、メディアをみても、けなすことが常態化しているようにもみえます。その声が大きい。けなすばかりでは、実りのないことではないでしょうか。

高校のサッカー部でコーチがみんなの前で、ひとりの部員を小突き回すのは、ちょっと見ていられません。ニュースで見ましたが、それはないでしょう。厳しさも必要だけど、あれはいじめではないでしょうか。

 

 

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2017年6月12日 (月)

長く続くことが秩序

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 地球は回る。ゆうゆうと時は過ぎる。その中で、よろこびもかなしみも流されていくけれども、原石を磨きつづけて、しだいに美しくなっていく。それが時代を越えて生き続ける。そのように、なにごとも長く続くことが、おそらく秩序というものだろうと思います。

日本文明がいまに生きているとすれば、たぶん良心によって、精神的にも行動的にもある秩序が作用しているように思います。古代から現代まで皇位の継承がつづいてきたことも、日本文明の重要な要素であります。ひとつの秩序であります。つまり日本は秩序でなりたっている。

さきごろ、辻元衆院議員が過去の著書において、皇室を、『生理的に嫌だ。同じ空気を吸いたくない』と書いたと、衆院憲法審査会において指摘され、辻元議員は、考えが一面的だったと痛感し、深く反省した、とのべています。
これほど長く続いてきた秩序は、必要性と合理性があり、誇りであります。現代はこの秩序を維持して先に渡す責任があると思います。

秩序を壊したいという人がいることは、察しがつきますが、それは歴史をみていなかった人たちでしょう。辻元議員は、指摘されてはじめて反省の弁をのべて終わり、この雰囲気はアンフェアな気がしています。

 

 

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2017年6月 7日 (水)

人の世は多様

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 疑問をもたない人たちが巨悪を許す、とはいいますが、本当に巨悪であるなら、早晩、自ら倒れるでありましょう。やっぱり、なにごとも素直に考えるのがいいです。素朴で意気さかん。かつ固執しないことが、創造の源泉でありましょうか。

探求心があるかぎり青春はつづくもの。その姿勢が日々、何かを発見するよろこびにつながると思います。一方、偏見が固執をよぶのか、固執が偏見をよぶか、悪循環は覚醒せず、いろんな方向からみることもできず、もう見ていられない。

人の世は多様。ものの見方が一面的になれば、大勢には耐えられず、自らが苦しむばかり。いつまでも疑惑の目でみれば、疑惑の海におぼれることになりましょうか。

 

 

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2017年6月 4日 (日)

受け継がれた伝統の強み

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 ものごとの考え方において、日本人は、中韓のひとたちとは正反対といっていいほど違うと、ケント・ギルバート氏がいっています。たぶんそれは、前向きか後ろ向きか、というほどの違いでしょうか。打算と良心、あるいは身勝手と和の対比、知性の広がりを必要とする伝統精神の有無の違いと言えましょうか。

いま国連か何かしらないけれど、やたらと何とか委員会とか特別報告者とかいう御仁が、日本に文句をつけてくるけれど、一体どんなものさしで計っている。日本、その一国に対してトランプだって、プーチンだって、ドウテルテも言わないことを彼らは平然という。ほんとうにどうかしている。

世界は広くそれどころではない。おそらくそんなことに振り向く人はいない。だから気にすることもない。中韓だけがしてやったりと見ている。それに与する内なる喜ぶひとたちも。

これは仕掛けられた罠だと思う。動揺を誘って弱体化を図る作戦にちがいない。罠にかかってはいけない。そんなおどしにはびくともせぬ。ながく流れてきた伝統がもつ精神的な態度は、よほど強いと思いますよ。

 

 

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