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2017年7月

2017年7月31日 (月)

だんだんと分かってきた

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 どんな言葉でも、ある意味間違っていないという一面は存在する。ただ、そういう見方をすれば、できるというに過ぎない。どこを見ているかは、好みによる。人はどれほど経験を積み、考えをめぐらそうとも、その人生わずかな時間の中で、おそらく釈迦の手のひらの域をでない、ということはあるだろうと思います。

同じように、どうせ私は一介の市井の身。政治の機微がわかるはずもない。ただ、この安倍政権の実績と行く末を信じるのであります。いま、森友から加計問題をみていて、だんだんと分かってきたことは、マスコミが、根拠の不確かな情報をきっかけに、邪推した情報を流し、あたかも事実であるかのように印象づけようとする。

マスコミが、その使命を忘れて不都合なことには目を向けない。そのねらいは、政権への不信を植えつけようとしていることが、見えてきた気がします。ことの起こりは、憲法論議を加速するという提案を機に、安倍政権叩きが激しくなった、ということなら、何ごとも白紙にもどせという新聞もあるをみれば、なるほどそうだったのかと思いもする。この期に及んでも、元に戻そうとするのは未練であり、愚図というしかない。

なにがなんでも阻止のためと、なりふり構わず公器を私してよいとも言えず、一体だれのために、情報を流している。日本の憲法があたらしくなる、ということは、晴れて喜ばしいことだと思います。

 

 

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2017年7月26日 (水)

一方通行はよくない

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 まじめが勝つか、非まじめが勝つか。時には非まじめも肩ひじ張らなくていいこともあるけれど、普通は健全でない姿をしている。手きびしくいってしまえば、非人間的、野獣に似る。怒っている方が正しいかといえば、かならずしもそうでもない。思慮あるものはたやすく怒らず、ということばもある。どちらかといえば、怒っている方が理不尽ということもよくある。

やはり、質疑の一方通行は、わがもの顔でよくない。・・のではないかなあ。予算委員会の閉会中審査の質疑で、民進党の質問者は、激高した。

「総理に聞いている。 総理に聞いている!。 いらない!。 出ていけ!。 でていけよっ!。」 と議長から指名された山本地方創生相を罵倒した。

「いま山本大臣、看過ならぬことをおっしゃいましたね。こんな小さなこととはどういうことだよっ!。言ったよいまっ!。こんな小さなこと総理が答弁することじゃない。われわれが調べたことに対して、そういう失礼なこと、おかしな話しだ。失礼だよ!。」 なんども指差しながら声を張り上げた。

なぜ、怒ったのかなあ。ひとはやっぱり、本当のことを言われたと思ったら、怒りだすのかもしれないです。

 

 

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2017年7月24日 (月)

親愛の情のひとこと

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 まだ早い朝、起きだして散歩にでる。ひとり行く道は静かです。ゆっくりと時間が流れている。だれもいない空の下に身をおけば、まだ夜のなごりを含んだ風は、涼やかに触れ何の思いもよぎらない。すがしさだけがある。道端に夾竹桃の赤い花が一面に落ちている。まだ踏まれもせず、新鮮さをとどめている。

最近、なんとなく古い本をとりだして読んだ。池部良のエッセイ 『風、凪んでまた吹いて』(講談社文庫)。俳優募集の面接試験の審査委員の中に大スターの高峰秀子がいた。三作目の映画で共演した。その後、戦地にいき俳優はなくなった。復員して疎開先の茨木の片田舎に逼塞。しばらくして、ある日、

 「良ちゃん。元気で帰ってきたんだね。あたいだよ」

 「あたい、東京から来たんだよ」

と、高峰秀子が迎えの使者としてやってきた。朝の散歩をしながら、その一節がずっと浮かんでいた。新鮮なひびきがあった。高峰秀子は年下。「懐かしくて、可愛い恩人」と池部良は書いている。

 

 

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2017年7月20日 (木)

まじめにやっているか

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 政府に説明責任をもとめることと、蓮舫氏が自らの国籍問題を明らかにして説明することは、片や違法性はない、片や違法性がある、次元がちがう。それを戸籍の一部を開示することの理由にするとは、素直さがみえない。ねじれたような根性がでていてあきれはてる。蓮舫氏は、二十二歳から去年まで二十余年のあいだ二重国籍をもっていたことがあきらかになった。

その間、政界の要職に身をおいたことは、信号無視も甚だしい。すみません赤信号、気がつきませんでした。それで終わり。日本人なら作法があるでしょう。この方、責任のとりかたもご存じないらしい。問題は、国籍は一つなのか、その部分だけをはっきりさせればいいだけのはなしだった。プライバシーの問題でも差別でも何でもない。

法に照らしてまじめにやっているかが、問われていた。「親や本人の国籍、髪や肌の色や名前や出自など、日本人と違うことを見つけ、違わないということを戸籍で示せと強要することがない社会を。・・・」 などと、そんなこと、誰も要求していない。

釈明は、じたばたして、論理のすり替え、言い訳は見苦しいかぎり。まあ、おっしゃるように共生社会も多様性もいいでしょう。そのように、政治にもの言いたいなら、もっともっと勉強して、きれいさっぱり、日本人に成り切る努力をしてくださいね。それが政治家の要件。いいかげんにしなさいね。もう。

 

 

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2017年7月16日 (日)

夏の記憶

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 7月も半ば梅雨はまだ明けぬらしいけど、夏の盛りのように暑さも暑し、日差しはできればよけて歩きたいけれど、なかなかそれもままならない。それでも夏は、戸外へとひとを行動的にさせる。広い芝の広場、そのわずかの日除けの中にこどもたちを遊ばせている。目のくらむような夏のまぶしさだけど、空には白雲が流れている。それは夏の思い出の歌が聞こえてくるように、遠いむかしのふるさとをおもい起こさせる。

海につづく真っすぐな土手の白い道、夏草の中でキリギリスが時を刻むように鳴く、その声なつかしく思い出す。いまは、ついぞそんな機会もない。

それでも夏らしい夏はたぶんみじかい。だから、つとめてそとでてみたい。そして汗を流したあとのカラッとしてさわやかさを感じるのもいい。ためしてガッテンでやっていたけど、外にでてからだを動かすと、脳にたまるゴミを掃除してくれるのだという。それはいいことを聞いた。でてみれば、日傘のひとが歩いてゆく、それも涼しげな景色にみえる。

 

 

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2017年7月12日 (水)

みる角度が違えば

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 加計関連、閉会審査の意義はあるのだろうか、野党の要求は、ここぞ、押せ、押せ、という感じしかみえない。ただ、叩くことが目的であるような。動機が不純ということかもしれない。ものの軽重を計ってみれば、異常を異常と思わないのが不思議。

ゆがめられたというけれど。いや、ゆがみが正された、という意見がだされた。ゆえに、真逆も真なり、遠近と見る角度が違えば、一方的に悪と定まるはずもない。元次官を持ち上げた勢力は傾きつつある。

国会は新聞に焚きつけられても、そこは正視することが大事で、そうしなければ道理が引っ込むことになりかねない。正視することはむずかしくない。素直な心でものを見る努力をすれば足りる。欲得もなし、打算もなし、でよい。

真剣勝負で戦う政治の本旨がないなら、はじめからちょっかいはださなければいいものを。凡人はつぶやいてみるのでした。

 

 

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2017年7月 9日 (日)

ひとつの風景

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 いろいろと言うけれど、その予測はたいがい外れる。そんなに世の中、都合よくはいかない。予測は予測でしかない。佐藤愛子さんは、「いちいちうるせえ」、それは、私にとって日常語なんです、とおっしゃっています。そう、心のうちはみな同じということでしょうか。

昭和のころ、タンゴの曲で、『碧空』 という音楽がよく流れていました。軽快なリズムに気を引立てられるような、そして透きとおるような静けさがありました。

結局、どんなに立派なことを言ったみたとて、碧空に勝るものはない気がします。碧空は、よろこびもかなしみも怒りさえも溶かしてゆく。

 

 

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2017年7月 5日 (水)

負けて正々堂々と

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 負けは負けだからしかたがない。都議選で自民党は惨敗した。ここは、くやしさをかみしめるしかない。安倍首相は深刻に反省したい、初心に返りたい、のべました。

新聞は、反省は当然、あるいは反省は本物か、といろいろ書くけれど、ちょっとどうかな。ひとから反省しているか、といわれるのも何だか、あまりいわれたくはない。

首相の反省の弁にたいして、
 「言葉じゃなくて、国民に本当に、自民党は反省したと思ってもらえるかどうか。われわれの努力にかかっている」
という人もあるけれど、それは、どこかの国から、反省していないと、いまに言われつづけている、その呪縛にひっかかったような気がしないでもないです。

反省ばかりでは、元気はでない。反省しないものが、反省をもとめる。反省なんぞ、叩き割ってしまえ。あ、少し過激でした?

 

 

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2017年7月 3日 (月)

変だ、どうかしている

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 開いた口がふさがらない、とはこのことか。韓国国会の丁世均議長が、大島理森衆院議長らと会談した際に、つぎのように述べたということです。

「平昌五輪に日本人観光客がたくさん来るように努力してほしい。もし少なかったら、東京五輪にはひとりの韓国人も行かせない」と。

一瞬ことばがないです。なんというか、他人のうちに土足であがってきたような感じがします。まるでけんかを売っているのか、と言いたいです。努力すべきは自分の方であるはずを、それを人のせいにする。それはないでしょ。

来なくても日本は困りはしないものを、解釈を間違え論理がねじれている。そこには一片の誠実さも見当たらない。それは不まじめな態度というしかないです。

ところで、例の森友学園の籠池前理事長が首相の街頭演説会場にあらわれ、またもや100万円を返したいといって、100万円らしき札束を見せていましたが、見え見えの下手な芝居。これも不まじめ。

お金は人を惑わす。お金は不浄という。普通の日本人なら、札束を人前で見せる感覚はないです。彼らはどうかしている。

 

 

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