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2017年11月

2017年11月29日 (水)

大事にすべきは本物

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 古くから受けついできた伝統が心のなかにある限り、ゆるがない生きる力となるに違いない。例えば、礼儀正しさ、あるいは清潔好きなども、知性に影響し文化を生み、その行いが伝統として生きているに違いない。そこに確かなものがある気がするからです。

いまの時代、政府の仕事は、そういう確かなもの、いうなれば、そのようなシステムを作り上げることではないかと思いますが。万事、うまく動くようにして置くことが大事。何が来ても少々のことではビクともしないものをつくり、人の才能を最大限に引き出せる。そのような風がこの国の隅々まで吹けば、ひとびとは明るくなるはず。

しかしその仕事は、中々た易くないです。いまの野党がしていることは、なんでも政府が悪いのではないかという風を起こすに懸命のようで、それは、自らのことは置いて、他人のせいにする風潮を呼ぼうとしているような気がします。あまりにそればっかりでは、ちょっと恐ろしい。

テレビで、『世界ナゼそこに日本人・ニッポンの女職人アイルランドで日本食広め・・中国人ニセ和食に繊細なワザで逆襲』、という番組を見ましたが、対抗するに、本物の和食を、と彼女は語っておりました。やっぱり、大事にすべきは本物です。本物は日本の伝統です。本物は心が落ちつきます。
根拠の薄いニセもので、不信をあおるのはどうかと思いますね。

 

 

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2017年11月26日 (日)

思惑のはずれ

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 いわゆる慰安婦像の件、一般的に、モニュメントを建てるに必要な条件があるとするなら、鑑賞に値することが必要で、そこに立ってみるものに、深い味わいを呼び起こし、自ら一体となって心の中に美的なるものを見出しえるものであって、はじめて存在する価値があるでしょう。

それは、刻まれる碑文と相まってそれなりの品位を保つことが必要で、また、建つべき場所の選択も、そこに立つべき、ふさわしい根拠がなくては意味を成さないでありましょう。

サンフランシスコ市に建てられたいわゆる慰安婦の像が影響して、大阪市は姉妹都市の関係を解消することなった。碑文に書かれた内容が、不確かで一方的のもので問題があると伝えられています。その像と碑文は、虚構というべきもの、要件を満たしていませんが、普通の米国人が見たなら、その内容には興味をもたないでしょう。

けれども、何んで? ここにに建っている?、と疑問に思うのではないでしょうか。そうなれば、どうしようもない不浄なる思いが込められていることが、浮かび上がってくる。つまりは、そういう象徴としてそこに残ることになる。じつに浅はかなこと。彼らの思惑に逆効果のものとなるのではないでしょうか。

 

 

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2017年11月22日 (水)

望ましい独自の意思を

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 夢ふくらませ過ぎて情念となることはあるかもしれない。十人は十人の因果を持つ、と漱石はいったけれど、ひとは理想というものに心ひかれて、ないものをあるかのように思い描くこともあって、見える景色はじつに人さまざまでしょう。

人の関係のなかにいて、感情に濃淡の差があるのは自然のこと。その多数がみる景色と、少数がみる景色は異なっても、おそらくそれぞれに一理はあるのでありましょう。

いま国会の質問時間の配分が問題になっているようです。いままでの予党2、野党8、の配分から、5対5にする与党の案に、野党が強く反対しているようです。野党のひとたちの見る景色と与党のそれとは、必ずしも同じではなく、論戦において、持つ思想ゆえに野党からは、出るはずのない言葉が、与党にあっても不思議はないです。

多様のなかから一つの答えを出すには、やはり機会は均等が望ましい気がします。国会の論戦にいどむなら、少なくとも、問題ありの偏向した大新聞、一部偏向テレビに同調するような反日色のない人たちであってほしいです。なぜなら外の影響を受けずに、独自の意思を示してほしいからです。

 

 

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2017年11月18日 (土)

もの分かりの有りや無しや

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 心に思うところを述べるのはいいでしょう。なにを思っているか分かりやすいですから。でも、でてくる言葉が、ものごとをよく見ないで、ゆがめられているなら、多かれ少なかれ世を暗い雰囲気にすることはあるでしょう。

先の首相の所信表明演説について、一部の野党は、内容が極めて薄い。あるいは、空疎な演説だった。などと批判しています。

本心かどうかわかりません。もし本当にそう思ったなら、ものの理解力はゼロ、きわめ自閉的、客観性を省みず、議員の資質はないも同然だと思いますが。

ただ嫌悪の情から、いつものワンパターンで、反射的にそう言っているのなら、それもあまいです。覚悟のない悦楽というしかないと思います。話しても分からない人たちなら、議論するのも、エネルギーのムダなような気がしています。

 

 

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2017年11月14日 (火)

リフレッシュ

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 どこかに書いてあったけれど、年齢は脳が決めるんだそうです。もう若くないとあきらめてしまえば、相応に老けるし、まだ若いと執着していれば、それなりに若い。女性はなおさらでしょう。

いつかガッテンでやっていたけど、記憶力は、手のひらの刺激によって活性化するといっていましたから、たぶん、手足の運動によって、記憶力がほどよく維持されるのだろうと思います。年齢は脳が決めるといっても、結局、それは意識して手足の運動をすることが一番ということでしょうか。

天気はいいし、所用の帰り道、電車をやめて、多摩川の河川敷を歩けば、今日は日曜日で、土手の上と下、マラソンの人たちがつぎつぎと行き交ます。それぞれにカラフルなランニングウエアで、カップルもあって、見れば楽しそうです。野球をしたりサッカーをしたり、ゴルフもあり、応援と一緒になって、みんなにぎやかにやっている。
そんな景色を見ることと歩くことが一体になって、身も心もリフレッシュです。秋の一日でした。

 

 

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2017年11月10日 (金)

求められる柔軟性

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 ひとがあって自分がある。自分ひとりでは、どんなに威張ってみたとて甲斐がない。やっぱり誰かが、気づいてくれたなら、うれしい。ほんの少しでいい。ここにいることが分かっていてくれればそれでいい。老境に入ってささやかなのぞみはそんなものです。一方、政界に身を置くとなれば、衆目を集め、役割も責任も重大でしょう。

週刊誌などで、禁断愛と批判にさらされた人が、衆院選で当選し、疑惑のお相手を政策顧問にするという記事がありました。政治家は、庶民の信あってのもので、その模範となることも必要でありましょう。個人的にも、公的にも、日々、裏表なく、折り目正しくなければ、信頼をえることはできないでしょう。

そして、自らの思うところと、ほかの人が思うところのいずれもを見極めてみれば、広い視野にたつこともできるのではないかと思います。けれども、彼女は、どこをみているのか、やましいことはしていない、ということで押し通す気らしい。

それは、所属していた政党の極論で押す硬直さをおもえば、その同志として、さもありなんとも思えます。ものごと、剛性よりも弾性のほうが、しなやかで復元力が強い。剛性はひずみがたまりやすく、いつか疲労して壊れる。硬直はいつまでも、らちが明かない無駄。益のないやり方だと思いますが。

 

 

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2017年11月 6日 (月)

無用な言葉

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 謙虚に向き合えば、横暴で返されることもある。何を間違ってか、上からの目線で自分勝手なふるまいで返されることもあって、謙虚になるのも中々楽ではないです。

安倍首相は、謙虚に向き合う。といっています。ならば、具体的に形で示せという社説もあるけれど、必ずしも多数勢のみが謙虚を余儀なくされる訳でもなく、少数勢は、何をいってもいいという訳でも、たぶん、ないはず。

先の衆院選のとき、いや、その前から、いくつかの野党は、安倍政権を倒す。という言葉をよく使っていました。まあ、選挙戦の最中なら、ぎりぎり許される言葉かもしれませんが、選挙結果がでてしまえば、その言葉はタブーではないでしょうか。なぜなら、政策を通り越して言葉が中傷的であるからです。

そういう言葉の多用は、逆に我が身に向けられることを思えば、同じ議会人の矜持として健全とは言い難いものでしょう。

言葉は、思考を通貨に形を変えたものだ。という人あり、通貨に、良貨と悪貨があるように、言葉にも有用なものと無用なものがある。少数勢が、世を惑わす常套手段として使う無用な言葉、朝日が喜ぶ言葉、反日の近隣国が喜びそうな、その言葉は、まさに悪貨といってよいと思います。

悪貨は良貨を駆逐する。といわれますね。悪貨をもって良貨が駆逐されては堪らぬ。世は進歩しているのか、退歩しているのか。以前は使われなかった言葉が、いわば道具として流布されるのも仕方ない面もありますが、それを故意に定着させようとして、少なからず、知らず知らずに、世がそれに流されては罪深い気がします。

 

 

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2017年11月 1日 (水)

駅の風景

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 人びとは、日々、人生を楽しむ。今日も、明日も、変わりなく懸命に歩みつづける。駅は、つぎつぎと人々を受け入れ、送り出し、いつも生き生きとしている。改札を抜ける一瞬に、かすかな喜びがある。出会いも別れも、爽やかな風となって流れてゆく。どこにいても駅は心のふるさと、いつも懐かしさがある。
久しぶりにみる東京駅。駅前に広場ができ、ゆったりと広くなっていました。

 

 

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