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2017年11月 6日 (月)

無用な言葉

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 謙虚に向き合えば、横暴で返されることもある。何を間違ってか、上からの目線で自分勝手なふるまいで返されることもあって、謙虚になるのも中々楽ではないです。

安倍首相は、謙虚に向き合う。といっています。ならば、具体的に形で示せという社説もあるけれど、必ずしも多数勢のみが謙虚を余儀なくされる訳でもなく、少数勢は、何をいってもいいという訳でも、たぶん、ないはず。

先の衆院選のとき、いや、その前から、いくつかの野党は、安倍政権を倒す。という言葉をよく使っていました。まあ、選挙戦の最中なら、ぎりぎり許される言葉かもしれませんが、選挙結果がでてしまえば、その言葉はタブーではないでしょうか。なぜなら、政策を通り越して言葉が中傷的であるからです。

そういう言葉の多用は、逆に我が身に向けられることを思えば、同じ議会人の矜持として健全とは言い難いものでしょう。

言葉は、思考を通貨に形を変えたものだ。という人あり、通貨に、良貨と悪貨があるように、言葉にも有用なものと無用なものがある。少数勢が、世を惑わす常套手段として使う無用な言葉、朝日が喜ぶ言葉、反日の近隣国が喜びそうな、その言葉は、まさに悪貨といってよいと思います。

悪貨は良貨を駆逐する。といわれますね。悪貨をもって良貨が駆逐されては堪らぬ。世は進歩しているのか、退歩しているのか。以前は使われなかった言葉が、いわば道具として流布されるのも仕方ない面もありますが、それを故意に定着させようとして、少なからず、知らず知らずに、世がそれに流されては罪深い気がします。

 

 

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