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2017年11月26日 (日)

思惑のはずれ

171126b

 いわゆる慰安婦像の件、一般的に、モニュメントを建てるに必要な条件があるとするなら、鑑賞に値することが必要で、そこに立ってみるものに、深い味わいを呼び起こし、自ら一体となって心の中に美的なるものを見出しえるものであって、はじめて存在する価値があるでしょう。

それは、刻まれる碑文と相まってそれなりの品位を保つことが必要で、また、建つべき場所の選択も、そこに立つべき、ふさわしい根拠がなくては意味を成さないでありましょう。

サンフランシスコ市に建てられたいわゆる慰安婦の像が影響して、大阪市は姉妹都市の関係を解消することなった。碑文に書かれた内容が、不確かで一方的のもので問題があると伝えられています。その像と碑文は、虚構というべきもの、要件を満たしていませんが、普通の米国人が見たなら、その内容には興味をもたないでしょう。

けれども、何んで? ここにに建っている?、と疑問に思うのではないでしょうか。そうなれば、どうしようもない不浄なる思いが込められていることが、浮かび上がってくる。つまりは、そういう象徴としてそこに残ることになる。じつに浅はかなこと。彼らの思惑に逆効果のものとなるのではないでしょうか。

 

 

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