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2017年12月

2017年12月29日 (金)

歩きながら

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 坂道を登っていくと1軒の酒屋があった。店先に奈良漬がでていた。老いは足からという。歩くということは景色をみること。それは、記憶力を維持する効果があるという。外へでることは身の解放です。だからよく歩きます。車の免許はもたないので、歩くしかないのですが。

知らない道で、お年寄りがバス停に座っていたり、玄関口にエプロンをした小さな女の子が、一瞬見えたこともある。そんなことでも、なんとなくたのしい。奈良漬は見えたけれど、結局通り過ぎてしまった。

歩きながら、坂道を見上げるとき、その向こうに何があるのか中々魅力的です。丘の上に青空が見えて、下から見る景色もいいけれど、登ってみれば、視界が広がり明るい。

すっかり葉を落とした冬の木は、繊細なすがたをして立っている。
『きらきらと冬木のびゆく夢にして太陽はひとり泪こぼしぬ 水原紫苑』、を思いだす。太陽が子を思う慈愛のなみだか。それとも、ひとりぼっちの太陽に我が身を重ねているのか、澄み切った情景がみえるようです。 ♪近い近い 夜明けは近い 銀色のはるかな道・・・。

 

 

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2017年12月25日 (月)

迷惑な前時代

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 北の木造船が北海道の無人島・松前小島に漂着し、避難小屋が荒らされた。難破船のニュースも続いている。一体、北はどうなっているのだろうか。いま目の前にあらわれたものは、前時代の幽霊船のように汚れてみていられない。

おそらく彼らの生きるためであろうけれど、無人島で物を持ち去る行為は、日本人の感覚としては理解を超えている。強烈な印象が残った。

人の幸せは何によって満たされるのだろうか。人は考える動物、たぶん、自らの知性を働かせることによって満たされると思う。仕事でも音楽でも、ドラマも読書も、それは知性に作用する。それぞれの持つ知性は互いに人に作用して意味をもつ。

知性はおそらく抑圧の中では育たない。江戸三百年から明治、平成へと引き継がれた精神の上に、そのように自在性のある時間の中に知性が育つ。

北にも主権があるというが、あの独裁者には当てはまらない気がする。民はどこに敵がいるとも知れず疑心悪鬼になる。我が身だけが大切な王朝政治に、民の幸せは遠い。なんとかならないものだろうか。彼ひとりのために、まったく迷惑なことです。

 

 

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2017年12月21日 (木)

大過なく過ごしてきたけれど

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 日々、みな無事で息災であればそれでいいけれど、できるなら、歳月人を待たずといいますから、みな充実した時間であって、明るい見通しの中で過ごしたいものですが、この年も暮れようとして思うに、森友・加計ではやし立てる人たちだけが盛んだったような気がします。

ものを問うことが大事といっても、あれをみては、聞く耳持たずして問うことの空しさを覚えるのでした。それでも大過なくすごしてきたのは幸いでした。

たぶんそれは、培ってきたこの国の寛容の風土というものが、大きな力となって作用しているのだと思います。より良いものを求めるひたむきさ、そういう風土がつづく限り、行く末は明るいと思います。

 

 

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2017年12月18日 (月)

さっぱりと割り切れば

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 個々に事情があり、その事情は本人しかしらない。だから、ものごと、余人には本当のところは中々わかりにくい。力士の暴力事件に端を発して角界がごたごたしているけれど、相撲は好きだから早くけりをつけて欲しいです。

事情がよく分からないので、言葉は気をつけないといけないけれど、はっきり言えばあれは、核心となる誰も彼もが、煮え切らない。

互いに不信は貯めていては、解けるはずもない。ただ、ものを言うことが大事でしょう、もの言えば、人に分かってもらえるし、人にも直してもらえる。そしてものを問うことも大事、自分が正しいという思いは限界があるからです。

結局、言葉のない人は、信を与えようがない。それぞれの威信にかかわることなら、声を大にしてはっきりと言えばいい、後はあっさりとするがいい。そう思うのですが・・・。
さっぱりと割り切れば、楽になれると思うのですが。

 

 

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2017年12月15日 (金)

無用な心配ごと

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 世のなかをよくしようと、遠い夢をみながら生きた人たちが歴史に名をのこします。総じてまじめで正直なひとたちだと思います。かれらは並みの人にはない未来へのあこがれをもっていた。

最近、「坂本龍馬」が消える。という記事がありましたね。なんでも、高校や大学の先生たちのグループが、高校歴史用語精選案を出して、そこに坂本竜馬をのせないことにするらしいです。

その趣旨も、影響力もよくわかりませんが、竜馬といえば、庶民的な感じで、よく親しまれてきました。剣の達人でありながら、凶刃に倒れて残念ではありますが、その交友の広さも人として魅力でした。そして維新の一翼を担ったのでした。竜馬を除いてしまっては、歴史のストーリーとして面白みがなく、維新を語れない気がしますね。

まじめで正直、約束はまもる、というのがそうした先人のイメージであり、みなの共感をよぶところだと思いますけれども、もしかしたら、いまの世は、そういう人物像がきらい、というひとたちも、いるかもしれないです。日本は、うそや、いいかげんなことが嫌いです。そしてまじめ過ぎることも、見ようによっては、未熟で幼稚とみえるのかもしれません。

だから嫌い、そんなものは壊してしまえ、ということかも。つまりは、正しい歴史に名を借りて、われらの精神構造を壊そうとしているんじゃないかなあ、要は竜馬でもだれでもよく、手始めに歴史上の人物がねらわれて、うまく行けば、またつぎに手をくりだしてくる。

いまはほんの序章。そういう動きがでてきているのかも、と心配になるのでした。無用な心配であるなら、それはそれでいいです。思い過ごしかもしれませんが。

 

 

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2017年12月10日 (日)

古民家の門灯

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 古民家の門灯は、時代の流れを今に映してなつかしい。むかしは、町家の通りに普通にあった景色で、気にもとめなかった。なのに、いま見ると、ああ、丸い門灯がある、そうだった、とひと昔前の風景を思い出します。

先日、横浜を歩いたときにみつけたものです。「根岸なつかし公園」の小高いところにたっていました。市の指定文化財で、旧柳下邸と説明書きがありました。

中に入ると、磨かれて黒光りする廊下がめぐっていて、畳の部屋がいくつもある。その和室がガラス戸のある縁側につづいている。

ひとつ家の広い空間の中に、それぞれの部屋が収まっている。ここに、ひとびとの生きた空気が流れていたことを思うと、ゆったりと落ちついた暮らしの様子が偲ばれるのでした。
いつのときだったか、丸い門灯のある家に出会ったことがあるけれど、あのときも、何というか胸が高鳴るような気がしたのでした。

 

 

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2017年12月 7日 (木)

ひとつの時代を象徴するもの

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 昭和という時代は、高度成長期と言われ、科学技術がおもしろいように沸騰して、みんな一生懸命に働きました。映画や歌謡曲の全盛期でした。それは人びとへの応援歌でもありました。そんな時代もいまはなつかしい気がします。どんな時代でも、ふりかえってみれば、それはそれでいい時代だったと思います。

そんな時代の移り変わりをひとことでいえば、明治は夜明け、大正はロマン・(夢二の世界)、昭和は情熱、そして平成は成熟。なんとなくそんなイメージがあります。

和暦の言葉がでてくれば、ああ、あの頃かと思いだすこともできます。最近のテレビは、過去のできごとを西暦で表していて、私は人間が古いせいか、ぴんとこないことがあります。やはり和暦の年号を大事にしてもらいたいと思います。

つぎの時代の年号はどのようになるのか、まだわかりませんが、できるなら中国の古典によらず、日本の古典から引き出してほしいものです。たとえば万葉とか玉藻とか、日本古来の言葉には美しさがありますが、既成の熟語はダメらしいです。世阿弥の作は大和ことばで美しい、あるいは漱石でも一葉でもいい、そんなものから二文字を抜き出して創造してほしいと思うのですが。

 

 

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2017年12月 4日 (月)

温和と過激

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 自然に親しむ心の広さが温和な風土をつくり、それぞれひとのことを思いながら自由に生きてきた。ものごとは、できるなら角をたてないで丸くおさめる心をみんながもっている。万事控え目、それが普通の日本人の姿だと思います。

でも、それもなんだか怪しくなって、この情報時代、好悪の情が急で、狭い世界に閉じこもり、意のままにならぬ世にひねくれて理を失ったか、印象操作という言葉が取りざたされる中で、疑惑、疑惑、といつまでも同じことを繰り返す人たちがいる。

これはもう、温和な風土からは、ひどくかけ離れている。あれは過激というしかない。やり方が世間の常識からはずれて、ひとの心を乱す。いつまで、悪酒で自分だけのつまらぬ快感に酔いしれているのでしょうか。ぐずぐず言うならもう置いていく。そのうち気がつくでしょうか。

 

 

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