« 古民家の門灯 | トップページ | さっぱりと割り切れば »

2017年12月15日 (金)

無用な心配ごと

171215a


 世のなかをよくしようと、遠い夢をみながら生きた人たちが歴史に名をのこします。総じてまじめで正直なひとたちだと思います。かれらは並みの人にはない未来へのあこがれをもっていた。

最近、「坂本龍馬」が消える。という記事がありましたね。なんでも、高校や大学の先生たちのグループが、高校歴史用語精選案を出して、そこに坂本竜馬をのせないことにするらしいです。

その趣旨も、影響力もよくわかりませんが、竜馬といえば、庶民的な感じで、よく親しまれてきました。剣の達人でありながら、凶刃に倒れて残念ではありますが、その交友の広さも人として魅力でした。そして維新の一翼を担ったのでした。竜馬を除いてしまっては、歴史のストーリーとして面白みがなく、維新を語れない気がしますね。

まじめで正直、約束はまもる、というのがそうした先人のイメージであり、みなの共感をよぶところだと思いますけれども、もしかしたら、いまの世は、そういう人物像がきらい、というひとたちも、いるかもしれないです。日本は、うそや、いいかげんなことが嫌いです。そしてまじめ過ぎることも、見ようによっては、未熟で幼稚とみえるのかもしれません。

だから嫌い、そんなものは壊してしまえ、ということかも。つまりは、正しい歴史に名を借りて、われらの精神構造を壊そうとしているんじゃないかなあ、要は竜馬でもだれでもよく、手始めに歴史上の人物がねらわれて、うまく行けば、またつぎに手をくりだしてくる。

いまはほんの序章。そういう動きがでてきているのかも、と心配になるのでした。無用な心配であるなら、それはそれでいいです。思い過ごしかもしれませんが。

 

 

|

« 古民家の門灯 | トップページ | さっぱりと割り切れば »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/66159902

この記事へのトラックバック一覧です: 無用な心配ごと:

« 古民家の門灯 | トップページ | さっぱりと割り切れば »