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2018年2月

2018年2月27日 (火)

経験がすべて

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 平昌五輪が終わった。かの地のこと、あまり期待はしていなかったけれど開けてみれば、日本勢の好成績に、現金なもので大いに楽しんだ。みんながんばってくれてほんとうにありがとう。

悲喜こもごもの話題もありました。終ってみれば韓国選手が氷上でひざまずく痛恨の涙もありました。技術の評価や順位には、厳しさを通りぬけるそれなりの意味があるでしょう。それなくしては挑戦する意味がない。

しかしそんな中で、トンガの選手は、上半身裸で式典に臨んで話題になりました。彼はつぎのように言う。「有名になることが目標なんかではない」「己の名声のため、有名になるためだけになにかをするのは、とてもつまらないこと」「もっと大きくて、永遠に続くなにかのために行動したい」 つまり、かれは不可能にみえることでもチャレンジすることが大切、絶えることなく希望をもつことをみんなに見せたかったのでしょう。

そう、燃える血潮、実行がすべて新しきものを生む。そして、何ごとも失敗も成功も経験がすべて。経験しなければ、真に身につかない。スピードスケート女子500メートルで日本女子初の金メダルを獲得した小平奈緒選手は、優勝決定後、韓国の李相花選手と抱き合いお互いを讃えたのでした。それは予期しなかった経験でありましょう。

 

 

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2018年2月24日 (土)

度が過ぎる言葉

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 寛容には、広いこころがあり自由がある。寛容をもってのぞめば、いつか開花する可能性を生む。かつてこの国は進取の気性をもって、西洋の文明を学び、その変化に対処する柔軟性と、多様を良しとする寛容をもって発展してきたのでした。

しかしここにきて、飽食の時代に寛容をわすれたかのようにもみえることがあります。何かことあるごとにデモが起きます。デモというもの、単に意思の表明であるなら、それでよいです。その主張には、いくらかの真理を含んでいるのでしょうから。しかし、それしか許さないというものであるなら、それは不可でしょう。

なぜなら、それは多数を前にして、個人主義の行き過ぎ、傲慢ではないかと思います。「アベ政治を許さない」、このことばは、度が過ぎています。庶民の秩序と道徳に対して著しく逸脱していると思います。どれだけ尊大なのかと思います。言論の自由といっても、たぶん、秩序と道徳を壊す自由はないはず。その言葉の流布は、ものごとへの不感を助長しているような気がするのですが。

 

 

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2018年2月20日 (火)

すぐれた技量は宝

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 何ごとによらず技量すぐれたものは、他には代えられない価値をもっている。平昌五輪でメダルの輝いた人たちは、ひかり輝いている。多くの人たちに喜びをあたえ、そして多くの人たちから称賛と感謝を受けます。

日の丸を帽子につけ、あるいは胸につけて真剣に競技にのぞむ。賞を得たものも敗れたものも、それぞれに意義があることでしょう。表彰式では、メダルの授与と3つの国旗があげられる。それこそ選手にとって、その国旗を見あげるとき、感無量のものがあるに違いないです。

日の丸は純白に赤、すっきりと美しい。この絵において、すぐれた技量は宝といっていいと思います。テレビマンは、国旗や国歌がきらいなのかも知れませんが、この場面、あまり映さないです。

世界のほとんどが、自分の国が好きだし、あたり前のことでしょう。やっぱり国旗がきらいな人っておかしいです。
ところでジャーナリストの江川紹子氏が、「『日本人スゴイ!』 じゃなくて、『羽生選手すごい! 宇野選手すごい!』 だから」 とつぶやいて、テレビの報道にくぎをさしたというニュース。どこか面白からずといっているようですが、ひとそれぞれでしょうか。どこかちがう気がします。

 

 

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2018年2月15日 (木)

秩序が定まれば

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 何か嬉しいことがあったような気がする。日常のちょっとしたことを思い出しては、ああ、そうだったと、いい気分になることがあります。何かの変化が起きたとき、こころなしか胸が熱くなる気がして喜びがわいてくる。それがときめき、というものでしょうか。

近藤麻理恵さんの「毎日がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)が、各国でベストセラーになり、そのシリーズで、700万部を突破したということです。小説ではないのに、すごいなと思います。彼女は一番大切なことは何ですか?と問いかけています。ひとそれぞれですが、自分に自信と余裕ができることでしょうか。たぶん、自分なりの秩序が定まれば、気持ちよくなることは確かでしょう。

礼儀をもち、秩序ある振る舞いは、ときにひとのこころを潤します。いつだったか遠い記憶ですが、横浜山下公園。遠く白い客船がゆく。
ぼおーっ、と長い汽笛を鳴らし、港をでてゆきました。(写真は臨港パーク)

 

 

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2018年2月12日 (月)

都合のよい事実

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 世の中にはいろんな事実があるけれど、中には、役に立たない事実もある。それどころかあまりにも都合がよい事実は、ひとをあざむくこともある。「安倍晋三記念小学校」と間違って記事にした朝日がその後、釈明したけれど謝罪はしなかった、というニュースがありました。

たぶん、朝日は取材したその事実は間違いない、というつもりでしょうが、それは無責任というものでしょう。取材源の口から出まかせのままを嬉々として載せて、多くの読者を誤誘導させる責任は重いです。

はなしは変わりますが、韓国で行われている平昌五輪において、北の芸術団、美女応援団が話題になっている。それは事実だけれども、果たしてかの国の実体はどうなのかと思ってしまいます。なんかあの情景は、正視できないような気がするのですが。

それというのも、マイク・ペンス米副大統領は、「最も独裁的」「ならず者国家」「国民に刑務所のような生活を強いる残酷な政権」などと批判したということです。平昌五輪に現れたあの人たちは、ほんの一握りの人たちで、彼女らが、多くの人たちの苦しみの姿を隠している気かしてならないです。

文在寅大統領は、訪朝の要請を受けて、にこやかに、「環境を整えて実現させよう」と答えたようです。金正恩氏を信頼にたる尊敬できる人物と思うなら、会いに行くのも仕方ない。

しかし、金正恩は世界にとってまったく信用できない。油断もできない。かれが健在であるかぎり、おそらくものごとが好転することはない。民の苦しみが続くだけではないか。平昌で起きている北からの使者という、その事実は都合よくでき過ぎている。そんな気がします。

 

 

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2018年2月 8日 (木)

新しい時代への期待

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 多数派は寡黙で、少数派は攻撃的である。といってしまっては身もふたもないけれど、国会論戦の野党をみても沖縄でさわぐ人たちをみても、そんな気がしてきます。

名護市長選で、地域の活性化を掲げた新人の渡具知武豊氏が当選しました。沖縄では、なぜか半島の人たちが基地反対運動にかかわっている。そのやり方は攻撃的でよく知られている。部外者とおぼしき、彼らの身勝手きわまりないその狙いは、沖縄の武装解除ではないかという見方は、うしろにひかえた大陸との利害関係をみてもそれらしい気がします。つまりそれは、日本の弱体化をのぞむものでありましょう。

ひとつの理想論がすべてをカバーするはずもなく、結局、現実を見据えるしかない。今回の選挙結果は、基地を悪とする絶対平和は幻想にすぎない、ということを沖縄の民衆が見ぬいた結果かもしれないです。古色蒼然とした政党は、しだいに置いていかれ、新しい時代の流れに期待がよせられているのでありましょう。

 

 

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2018年2月 5日 (月)

広い海にでてゆけば、

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 陽の光りを受けて立ち並ぶ白いマストが鮮やかです。ここは東京湾、夢の島マリーナです。たくさんのヨットやモーターボートが係留されています。穏やかでこころが洗われるような風景です。広い海にでてゆけば、ただ風と空があるばかり。それは大らかなものでしょう。

ここに立てば、憧れは海の彼方にと思いを馳せることができる。森友とか線香とかいっても、それがどうしたというのでしょう。それは小さい小さい。そんな気がしてきます。

 

 

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2018年2月 1日 (木)

それが強い

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 価値あるものは美しい。いずれも明るく輝いている。世の中は思い通りにはいかない。たぶん、良かれと思っても、世は不覚と不覚のぶつかり合い。約束はいつ破られるとも知れず、明日どうなるともしれない。それは世界のいずこも同じ。

予測できないところで、生真面目さが落とし穴に落ちる。反日は外にも中にもいて、過去にこだわり、ただ壊すことに執心する。けれども過去はいずれも同じ、過去は過去でしかない。それだけのこと。

戦いに敗れはしたが、それで腰がぬけてしまったわけではない。それでもたぶん、人びとの中に日本の精神はいきていると思う。それが強い。だから大丈夫だ。日本の精神とは何か。良心と美の追求か、これはよく分からないけれど定義は必要ないと思う。

ひとり一人に、それぞれの持つ日本の精神ということばが心に宿っていればそれでいいと思う。他にないそういう確かな自覚がある。大事なのはあれからどう歩いてきたかでしょう。


たぶん、結果として外から見れば、価値あるものは美しい。明るく輝いている。そう思います。2017年に、日本を訪れた外国人客数は、2800万人。この多さがそれを示している気がします。

 

 

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