« 人心を惑わす虚像 | トップページ | さくらを惜しむ心 »

2018年4月 2日 (月)

庭という情趣の創造

180402a


 自然の風景は静かです。緊張があれば緩和があるように、人のいとなみは動と静のくりかえし、その静の時こそ心身ともに安らかにして、動の緊張への活力をやしなう時間。日本ではふるくから、自然の風景を取り入れた庭園がつくられました。

美に対する憧れでしょうか、自然の景観を創造する伝統があります。最近見たBSテレビのプレミアムカフェ、『世界最高の庭づくり~石原和幸チェルシーフラワーショウに挑む~』 は、各国の精鋭が斬新な趣向をこらした庭を競う、見ていて圧巻でした。こんな庭があれば、とても心が和む、快適な空間、そのデザイン、よくぞこんな庭を思いつくものだと感心せずにはいられませんでした。

創造とはこういうものかと思いました。どのようにしたら、美しくみえるのか、美なるものを追及、識別し構成する人たち、それは素晴らしい。やはり、自然の景観を愛でる作業を誰かが考えてくれるというのは、人間にとって大切なことだと思います。

たとえ玄関先の小さな坪庭の南天ひとつをとっても、なにげない木陰の小径に並ぶ明かりであっても、それがあるとないとでは、大きな違いがあります。そこには潤いがあります。静かな世界があります。

 

 

|

« 人心を惑わす虚像 | トップページ | さくらを惜しむ心 »

コメント

こんばんはrain
南天1つそこに有るか無いかは大きな違い…年を重ねた今つくづくそのように思います。
子供のころ、野山を駆け回って遊んでいたとき何気なく目に入り、手に取ったわけでもないのに、名前も知らなかったのに…あ~あそこにあの花が、あの花がと思い出します。
きっと他の事も興味さえあれば、思い出せるのかもしれませんが、植物と食べ物ばかり浮かびますnote

投稿: 草もみじ | 2018年4月 5日 (木) 19:25

草もみじさん
マンションの1階、小さな庭、自由にはできるのですが、ほとんど手入れらしきものはしません。それでも毎日ながめています。四十雀もメジロもたまに来ます。もっぱら通りすがりのお庭の木をみるとか、緑道、公園などを歩くのをたのしみとしています。テレビで見たのは、庭が独立しているのではなく、生活空間と融合していていることが驚きでした。

投稿: ちぎれ雲 | 2018年4月 5日 (木) 20:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/66565224

この記事へのトラックバック一覧です: 庭という情趣の創造:

« 人心を惑わす虚像 | トップページ | さくらを惜しむ心 »