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2018年7月11日 (水)

今につづく気風

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 「わび」も「さび」も、心のあり方として「美」をもとめるものといえるでしょうか、それは折りに触れ見聞きすることで、心の底でいまも息づいていると思います。そして、人と人のつながりは、過去と現在を結び、相互に依存していることを自覚しています。それを、「義」というものかもしれないです。

世の中は、自分ひとりではない。互いに上下の区別はないんだ。皆、そう思っている。けれど、その間には「美」と「義」がある。いつも互いのためを思う意識が、それと気づかず心の中にあって、自然に行動に現れるのではないでしょうか。

先ごろ、『日本人はどうやって「ゴミ拾い」を世界から賞賛される「ソフトパワー」に変えたのか=中国メディア 』 という記事がありましたが。サッカー・ワールドカップにおいて、日本のサポータのゴミ集めの話題に触れ、あれは、日本の経済成長によって環境問題がでたことに起因して成ったことで、わずか30年ぐらいでソフトパワーに変えたのだと言っています。

残念ながらその結論は正しくない。たぶんですが、長い時間で培われた、いわば美学という日本人の趣味がそうさせているのかもしれないです
(小石川後楽園・円月橋 池に映る橋が満月にみえる)

 

 

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コメント

こんばんは!
所構わずゴミを捨て、痰を吐く中国人には理解出来ないので、自分たちの物差しで計ってトンチンカンな解釈をするのだと思います。

と、偉そうに思うのですが、思うに、最近、日本人の中国人化が進んでいるようで心配です。
ゴミを拾って帰るのはサッカー会場くらいであり、河川や海のバーベキュー場や花火会場等は、中国人化した日本人で溢れていますよ。
さて、どちらが日本人の本当の姿なんでしょうね。

投稿: FUJIKAZE | 2018年7月12日 (木) 21:25

FUJIKAZE さん
それは、いえますね。
やはり、相対的なものでしょうねえ。
日本人がどこでもゴミ拾いをするかというと、
そんなことはないですからね。
ロッカールームをきれいにしておくことはありえるでしょう。
新幹線だって野球観戦だって、ゴミ箱があるから、
あまり、ゴミを散らかさないようです。
やはり、公徳心(この言葉は嫌いな人もいますが、あえて)が諸外国にくらべ、
少しマシなのではないでしょうか。
そんな気がしますが。

投稿: ちぎれ雲 | 2018年7月13日 (金) 06:32

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