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2018年8月

2018年8月29日 (水)

公正がくずれる瞬間

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 公正といっても中々むずかしいです。公正であることよりも、断定することの危険の方がはるかに大きい。ものごと、人にはいろんな前提と、いろんな見方がある。

ひとりの人が、ひとつの断定を下せば、公正がくずれることもあって、その瞬間に自他ともに胸騒ぎがおこる。言い負かそうとするよりは、思慮深い態度の方が、見ていて好ましいです。

それはダメだ、という人より、これがいい、という人の方が、私にはなんだか心がおちつくのでございます。

 

 

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2018年8月26日 (日)

野ぶどうの実が、

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 あついと言いながら、八月もあとわずか、こどもたちの夏休みも終わる。それはそれで、何となく惜しいような気もします。

この暑さでは、ことしは朝顔は咲かないのか、と思ったけれど、この4、5日で咲き始め、きょうはいくつ、あしたはいくつとかぞえる日々、桔梗が咲き、野ぶどうのつるに小さな実がつき始めました。それは、はじめてのできごとでした。

厚木街道の空地で見つけたもの、種をまいて4年目ぐらいになるだろうか、やっと実をつけてくれました。いまはまだ青いけれど、秋になれば、白、あざやかなブルーや紫、ほのかな赤みの色、そうなれば蒔いた甲斐があったというものです。めぐる季節はまちがいない。やがて秋がはじまる。

 

 

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2018年8月23日 (木)

何かの誤算

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 諸外国にくらべ比較的におだやかな人間性をもっているのが、日本人ではないでしょうか。ベネディクトが恥の文化だといったように、それは、旧くから人とのつながりを大切に考えてきた結果かもしれません。

いま、自民党総裁選において、『正直、公正、石破茂』 がキャッチフレーズだとか。ちょっと何か違うような気がするのですが。正直、公正、というのは、言い換えれば、まじめで、無私、ということでしょうか。それなら、昔から人々のあいだにつづいてきたものでありましょう。いわば日本人の伝統と言えるかもしれません。

つまり、私たちが潜在的に心の中にもっているあたり前のことですよね。普通、自分のことをそんなふうに言わないです。人がそのように見ることがあっても、じぶんからは、ちょっと言えないです。それに、そう言われても、計るものさしもないです。

内政でも外交でも、虚実飛び交って、内からも外からも風当たりが強いです。それで、荒波を乗り切れるか。正直、公正というその言葉にパワーはあるか。その言葉、政治の要になりえるとも思えないです。

キャッチフレーズにするなら、『元気な日本を』  とか、『強い日本』 とか、ありますが、もっと斬新な発想はないのでしょうか。氏の正直でありたい、公正でありたい、という思いが、メディアを通して外に批判的な発言があらわれるなら、それもいいでしょう。でも、批判というものは既知に対するものですね。そこに新しい発想は見られない気がするのです。

 

 

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2018年8月18日 (土)

稲穂の風の中で

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 一面の稲穂には安心感があります。旧くから受け継がれてきたこの景色は、その時間の長さを思えばほんとうにありがたいです。ひとびとの汗と愛情の結晶だと思います。

縄文時代に、熱帯原産から九州に上陸した稲作は、栽培技術や品種改良によってしだいに北上し、比較的寒冷な北海道まで広まるには、長い時間と苦難と工夫があったに違いありません。田に水を入れるのも大変、水利技術や、いろんな農具の発明もなされました。

望みを捨てない、そういう風土が時間の流れの中で、探求心と、ものづくりに打ち込む精神文化を育んできたと思います。いま、実りの秋を迎えようとして、稲穂の風景の中で、豊作であればありがたいと思います。見れば心が安らぐ感じがします。
(寺家ふるさと村・・横浜)

 

 

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2018年8月15日 (水)

緑の山がある限り

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 立秋が過ぎて、光りはいくらか透き通ってきた気がする。けれどこの日は、雲は低くあたりは暗い。遠く稲妻が地に落ちるのが見える。雨もぽつりぽつり降ってくる。野中の道、ここまできたら濡れていけばいい、それしかない、ただの雨だ。熱冷ましにはよい。

世の中、そんなに捨てたものでもないと思います。虚々実々に、何のかのといってみたとて、あれはいまの世の、平穏への反作用のような気がします。川は、緑の山肌を源流にもつ。時に濁流となっても、必ず元の澄んだ川になる道理でございます。

 

 

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2018年8月12日 (日)

さるすべりの花が咲いている

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 さるすべりは夏の花、はすの花のように優雅さはないけれど、大樹を望まず、散りいそがない大らかさがあります。長い枝の先に花をつけ、風にゆれるしなやかさがあります。陽の中で無心にしっかりと咲いています。さあ、元気をだそう。今日もある。明日もある。

 

 

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2018年8月 9日 (木)

時代の流れの中で

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 ものをつくることはたのしい。考えをめぐらし、新しいものを生みだす時間は充実している。苦労したその成果はみな美しい。映画を作るのも同じ。人はみな何かに触れることによってものを思い、感性をみがく。

その意味で映画は人の情操を育む。俳優の津川雅彦さんが亡くなった。映画人として人々の心を打ったことは確かだと思います。みなで映画を作る心意気は楽しいものであったでありましょう。

調布市多摩川に映画俳優の碑があります。津川雅彦さんの名も、朝丘雪路さんの名も刻まれている。多くの映画俳優の名前を追っていくと懐かしいものがあります。時代の流れの中で、映画の役割は大きなものがあったと思います。

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2018年8月 6日 (月)

時代が移っても

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 ことしはいつになく暑い。ざわざわと風がふき、差別とか人権というけれど、その声、なにやら逆差別の感じがしないでもないです。感情ではなく、世はもっと大きなもので動いているような気もします。

空をみれば、なんとなく涙がにじむ思いがする。先人も涙している。広い海の向こうをみれば、いまさら、過去にこだわる人はいない。昭和は過ぎた。平成もあと少し。また新しい時代に入ろうとしています。

なんとなく、古い録画をみていたら、「武士の娘」の中で、鉞子(エツコ)の母がいう。没落して時代が変わっても、武士の心をわすれてはいけない。おまえには、何もしてやれないけれど、武士の心をもたせたので安心している。と、それが何かはしれないけれど、なんとなくわかるような気もします。時代が移っても、ときに先人のことを思いだすことも必要だと思います。

 

 

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2018年8月 2日 (木)

感動がひとつになるとき

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 2020年東京五輪・パラリンピックの開閉会式を演出する総合統括に選ばれた狂言師の野村萬斎さんは、「・・シンプルかつ和の精神に富んだもの・・」 になるように全力を尽くしたい、と記者会見で語っていました。この言葉、何となくいいなと思いました。

「シンプル」 とは何だろうか。たぶんそれは、余分なものを落として、磨きぬかれた美ということかもしれない。余白を大きくとった日本画のように、シンプルなのに、ゆったりとしている。余白が意味をもって、静かな景色が心に沁みる。そんなイメージでしょうか。

そして、「和の精神」 は、調和ということかな、と思います。あるものと、あるものがあって、初めて調和がなり立つ。そういうものが共感をよぶようなストーリーかもしれないと思います。

すぎやまこういちさんは、「 『雨がしとしと日曜日』 などは、シンプルな日本語ですが、歌になったときにすごくいい」 と、どこかに書いていました。そういう景色は、想像できます。その一瞬に感動があります。みなの心がひとつになります。その時を期待したいと思います。
(松原の中に、江戸時代の酒亭 九八屋  小石川後楽園)

 

 

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