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2018年9月

2018年9月27日 (木)

未来は明るい

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 いろいろと正しいことを言っているようにみえても、石破さんも進次郎さんも与党に席をおきながら、言ってみれば、安倍首相が嫌いなんでしょう。例のモリカケ事件にしても、いまだに納得しかねるご様子でありました。

「異なる存在や声を社会の強みに変えていける、そんな日本でなければならない」 と進次郎氏はいうけれど、ご自分の意見があまり受けないことで、ものが言えないのはおかしい、と感じているのかも知れませんが、それは、ものを見る目が、情に動かされているためかも知れないと思うのです。

安倍首相をよく思わないその心情が、安倍首相にたいする物の見方が曇ってしまう。つい批判的な考えになってしまう。石破さんも進次郎さんも、安倍首相をなぜきらいかとえば、これは推測なのですが、たぶん 「日本を取り戻す」 という言葉に共鳴できなかったのではないでしょうか。

それが心に引っかかっている。両氏にかぎらないことですが、ずっと内と外からの攻撃にさらされつづけた日本、その後遺症が尾を引いている、そう思えてなりません。そんなもの、吹っ飛ばした方がよい。しかめっ面してないで、さあ、にっこりしようよ、いつだって未来は明かるい。

 

 

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2018年9月23日 (日)

静かな月夜

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 ふるさとの月夜は清浄なものでした。あたりを照らす月光は静寂でありながら心おどる心地がするのです。きのうは十三夜というブログを拝見して、十三夜という言葉の響きのきれいさに、そんなことを思い出したのでした。

樋口一葉の名作 「十三夜」 も思い出します。おせきが乗った人力車の車夫は、思いがけなくも幼馴染だった。おせきは紙入れより紙幣いくらか取出して小菊の紙にしほらしく包みて、「録さん、これは誠に失礼なれど鼻紙なりとも買つて下され」 と差し出す。

「あなたのお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても、是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も帰ります、更けては路が淋しう御座ります」

 まったく別の人生を歩むふたりは万感それぞれに、心に哀感を秘めて、月光が明るく照らす上野広小路、十三夜の夜道を別れていくのだった。一葉は、「憂きはお互いの世におもう事多し」、と結んでいる。

 

 

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2018年9月20日 (木)

清流は悠々と

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 清流は深山から流れてくる。雨の日も雪の日も、渡る風をも吸い込んでながれてゆく。さざ波の穏やかさあり、ときには急流となって巌にはじけ、青空の下にひかり輝く。清流は悠々として力強い。

多様な意見を、あるいは健全な批判を、というようなことで、報道される小泉進次郎氏の心境、それは悲観論、見方も考えも、いささか暗くないですか。総裁選において、行く先に何を期待するのかにしては、ちょっとスケールが小さいような。

(御岳渓谷・多摩川)

 

 

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2018年9月17日 (月)

秋の晴天

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 きょうは薄雲の間から、晴れ間がのぞくいい天気になりました。

公正という結果が、利益をもたらす一面をもつなら、いいことに違いないです。でも、十人十色が人の取り柄でしょうから、その見る目の多少の偏向もやむなし、いずれが公正かはむずかしいところです。不公正に見えたのも、また公正のうちという気もします。

結局、取るに足りないこと、そんなことより、秋の晴天、その大らかさのほうがずっときもちがいい。

 

 

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2018年9月14日 (金)

秋はもうすぐ

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 少しづつ陽が早く落ちるようになって、コスモスの花が咲き始めると秋はもうすぐです。

歩いているとよく民家の庭先などに咲いているコスモスは、庶民的な風情があります。白とやわらかな紅であたりを明るくする。

その一群に出会うと、なんとなく遠い景色を思い出します。

八ヶ岳高原線・甲斐大泉駅から、八ヶ岳倶楽部へ通じるゆるやかな登り坂、道々、人家があるごとにコスモスが咲いていた。

(品川区 しながわ花海道)

 

 

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2018年9月 9日 (日)

ポジティブ指向

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 「あります」 という言葉には肯定的な響きがあるという。なるほど言われてみれば、気もちがよい言葉です。「できます」、「やります」、などもプラス指向で、はつらつとしている。ネガティブ思考で物事をなしたひとは、たぶんいない。世の中、ネガティブより、ポジティブ思考の連鎖の方がいいに決まっている。

朝のNHKニュースで、『公明 山口代表 憲法改正は慎重に検討を』 とコメントが流されていました。氏は、国民の充分な理解が必要といい、憲法改正の優先順位が高いとは判断できない、とおっしゃっていました。政治家でありながら、なんだか主体性らしきものがみえません。

慎重に、というけれど、現行の憲法の成立だって、国民の総意を問われたこともなく、慎重には程遠いものだった。その後、長い間、過ぎた称賛が宣伝された面もあって、いまでは政争の道具と化しているようにもみえなくもないです。

憲法には、人権も、個人の自由も、個人の尊重もうたわれていて、これを濫用してはいけないことになっているけれど、誰もそんなことは気にもせず、勝手なことをいう。そんなにありがたいものでもないような気もしてきます。

どんな内容の改正でも一歩前進であり、よくなることは間違いない。何かが悪くなることはないと思うのです。なんだかんだと言っても、日本人全体の力を信じるからです。

 

 

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2018年9月 6日 (木)

目に映じるもの

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 北海道で震度6強の地震、不意に襲われる自然の力に静かなるもの、動かざるものが、突然に崩れ落ちる。その映像はただ心が痛みます。ひとは成すすべもなく、見ていても思考が止まって寡黙になるのでした。

台風21号も今までにないすさまじいものでした。それもこれも、座してみていました。目に映じるもの、その苦境の経験は、何かを教えているような気がします。
形あるものは壊れるものと思え。車は風に転がるものと思え。屋根は風に飛ぶものと思え。錨も風に用を成さず。おそらくあの映像を見れば、人はそれに備え得るできるだけの英知をやしなうだろうと思います。

 

 

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2018年9月 2日 (日)

あとはあっさりと

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 晴れた日があれば雨の日もある。きょうは曇り空で、光の反射がない。樹々のみどりも、街の景色もやわらかい。あの照りつける陽射しはなんだったのか、天気は気まぐれ、昨日と今日、その変わりようは、うそのように実にあっさりしている。

丁寧な説明をしても、真実には興味がない、立場とこだわりが違えば、もとより耳にとどくはずもなく、ならば、エンドレスで不毛、進歩というものがない。壮大なムダというべきか。日本人は、一度いえばわかるはず、あとはあっさりがよろしい。それが本来の持ち味、呼吸がとても楽、ねちねちはお互いに身体によくないです。

 

 

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