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2018年10月

2018年10月29日 (月)

のびやかな風情

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 ビルの谷間に緑がある。光りが射して木々の影ができる。この景観の入り口に立てば、何か軽やかな気分にさそわれる。なぜだろうか、植物は生き生きとしている。自然の中に人は調和する。

時実新子さんは簡単に言えば、俳句は風景画、川柳は人物画といったけれど、なるほどと思う。人はみな自然の風景が好き。

静かなる心で自然と人が会話する詩歌は、ひとつの伝統としていきつづけている。それは人が、形を残そうとする創作意欲をもっているからでしょう。
ひょっとして、私たちは、自然なかりせば無力なのかもしれないと思うのです。
(有楽町にほど近い通路・・のびやかな空間)

 

 

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2018年10月25日 (木)

前向きの人生

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 肯定は許容であり、前進の道をひらく。しかし否定は断絶であり、途方を失う。テレビに流される政争にもネットにもいろんなコメントがあるけれど、否定的なものが多いです。

それも多数をたのめば、一つの力になることもあるでしょう。たとえ間違いであっても、正しくみえることもあり、善良なるものはそれに流されもするでしょう。答えのない否定論は健康とは言えない気がします。

ものごとやさしいものほど難しいけれど、それは認識の深浅の差、あるひとつの事について言うことよりも、言わない部分に深遠が含まれる、ここは思案のしどころ。

無縁坂を下れば不忍池にでる。忍ぶ不忍とは、人生に機微あり、喜怒哀楽の人生、ということでしょうか。
後ろだけは見ちゃだめと笑ってた、という言葉、思えば心に染みます。

 

 

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2018年10月22日 (月)

秋の花は静か

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 一面の花の色は明るいけれど、秋の花は何となく静かな感じがします。いろんな色が、緑の中に散らばって、程よいブレンドで、一段と美しさが映えています。短い秋のこの花たちは、誰がため咲いているのでしょうか。

そう、言わずと知れた、気ままでせわしない私たち人間どもに、しばしの心の休息を与えようと、咲いているのでございます。

 

 

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2018年10月18日 (木)

桜の木の反骨

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 秋なのに、あちこちで桜がさいているというニュースがありました。強い台風で、葉が枯れたり飛ばされたりしたために、ホルモンの作用で開花したということですが、桜の木だって意思がある。
冬を前にして、これからゆっくりと葉を落として、眠ろうとするときに、意に反して痛めつけられれば、反抗もしてみたくなる。

そういう意味では、桜の木も、意外に外圧に対する感受性をもっている。反骨の気概がある。

われわれ日本人も、感受性が豊かであります。文学、芸術、自然科学、ものづくりに秀でているといわれます。
でも、日本人の災いは、そのセンシビリティーにあるかもしれません。それが逆に作用して憲法改正アレルギー症状がでているような気がします。あまり、きなきなするでない。と思うのでございます。

 

 

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2018年10月15日 (月)

風のある風景

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 10月も半ば、山はまだ青い。高さ35メートルの吊り橋の上、風はさやさやと通り抜けていく。爽やかで静かな空気を感じる。
小田急秦野駅から水無川にそって歩くことおよそ2時間、丹沢のふもとの山間に立つ 「風の吊り橋」。
この風景はのちの語り草、風はいつも新鮮、山も樹々も、人もまた、風の中に生きている。

 

 

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2018年10月11日 (木)

善意のゆくえ

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 善意を受ければ好感がわいてくる。うまくいく。それが普通。だけど、善意を悪意で返す、と言う人もありまして、広い世界には、そんなこともごくまれにある。

ただただ、日本悪しというのも中々異常にみえますが、たぶん、それは虚構によって醸成されたことは彼らもわかっていて、事実といいながら、強い願望をぶつけてくる。為政者も率先して保身のためにやっているのではないだろうか。

彼の国の再生のためには、人はみな上下の区別はないこと、多様を認めること、外からの価値観をよく吸収すること、などなど、何とかして体得しするしかないと思うけれど、中々難しいようで、それは頭の中を空っぽにしなければ、とてもできそうにない。

おそらく、彼らも歩んだ歴史を忘れてはいないだろうけれど、当時、自分の目で見ていたイザベラ・バードは、「朝鮮紀行」 の中に、つぎのように書いています。


「日本がなみなみならぬ能力を発揮して編みだした要求は、簡単で自然な、行政改革の体裁を示していた。」・・「わたしは日本が徹頭徹尾、誠意をもって奮闘したと信じる。」・・「日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。」・・「朝鮮における日本の政策は、国民から当然のごとく自分たちのリーダーであると認められ、文明開化の道をふさぐ複雑多岐な障害をみごとに切りぬけて国を導き、世界が賞賛を禁じえない手腕を示したことも、忘れてはならない。」 (過去記事の再掲)


これは、第三者によるリアルタイムのレポート。文明の恩恵に浴することはできたけれども、かの国はおかしい。精神活動の豊かな所産を文化とよぶなら、文化を築くのは、一朝にしてはむずかしいということになりましょうか。

 

 

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2018年10月 8日 (月)

街の中で精気をもらう

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 つぎからつぎといろんなことが起きる世の中にあって、心乱されることが多いけれど、虚構も幻影も、虚勢もまた確かなものがない悲しさに、もろく崩れやすいものでありましょう。
なあに、そんなに心配することもない。外に出ると、そんなことも忘れる。外へ出ることは、身も心も、緊張から解きほぐして、精気を取り戻すことでありましょう。外は明るく、街ゆくひとたちを見れば、みんな元気そうだ。

 

 

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2018年10月 4日 (木)

本気でぶつかってこそ親身

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 雨に遠くが霞む。色は薄くてやわらかい。外にでるときは、雨は降らない方がいいけれど、雨の景色は絵になるような。

ところで、「沖縄県知事選の応援で小泉進次郎氏、翁長知事の名前を出すも辺野古については語らず」 というニュースがありました。世間話から始めて気を引く、媚びるような演説では、どうやら真剣さは伝わらなかったか。
本気で語ってこそ、親切というもの、むずかしいけれど、本気でぶつからなければ、しらけてしまう。と思うのであります。

 

 

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2018年10月 1日 (月)

遠慮のある風

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 このごろ、社会は言うことが大げさになったのではないだろうか。世の平穏無事への反動がそうさせるのか、さも問題ありげな声がありますが、なんだかしらないけれど、決めつけてものをいえば、勢いあまって大げさになるような気がします。

以前に書いたことだけど、十人は十人の因果をもつのも許されるならば、悪は必ずしも悪ならず、善もまた善と定まるはずもないと知れる。悪として抹殺するのではなく、もっと自由でありながら、人にも一理あると認める、遠慮のある風が吹いて欲しい。

(新宿御苑・・昭和に流れた曲 「鈴懸の径」 を思いだす)

 

 

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