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2019年3月

2019年3月29日 (金)

桜の木の下で

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罪もないのに、ファンタジーと偏見、
果てはその狂信によって、根拠なく処断する。
よって謝罪せよ、というのも中々に憐れさがでる。
もう救いようがない、病人というしかないです。

それでも季節はめぐり、桜が咲きます。

桜は近づいてみれば、純真

遠くから見れば、雄大

ひとのこころを穏やかにする桜であります。

桜の下で人々が憩う。

桜を愛でるそぞろ歩きの人が、きれいだね、という。

みんな桜をみている。

もの言わぬ桜もまた、人をみています。

桜は慈愛というものありましょう。

(さいたま市 見晴し公園の風車と菜の花と桜)

  

  

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2019年3月26日 (火)

秩序の維持と前進

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 3月も末、やがて花の季節がやってくる。すぎゆく時の中で人は生きている。喜怒哀楽それぞれに、過ぎてみれば、何ごともなかったように歩いてきた。時の流れの中で、ものを作るということは、楽しい。

草木を育てるのも、楽器を弾くのも、ものを書くこともまた、創造の内であり、秩序の維持と前進であります。日々のよろこびであります。それもひとつの青春といえば、言える。

ココログはヤフーより古く、永くつづいてきました。システムは成長をつづけ、どのブログよりユーザーフレンドリーです。システム管理者さんの研究と創造力、努力の結果だと思います。運用の問題、経済性、あるいは意義、有用性の問題などむずかしいことは、多々あると思います。

何とか維持、継続をお願いしたいと思います。これも人生の潤いの一つであります。期待しております。
(鞆の浦に行ってきました・・郷里に近い、もう何十年になるだろうか)


  


  

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2019年3月21日 (木)

得るものより失ったもの

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 誰しも人生は大変なんだと思いますが、一時の思い込みによる高揚は、ときとして人の期待を裏切ります。それは、自らの力量不足なのか、それともユーザーがついていけないのか、定かではありません。

しかし、ひとつの新しいものを世に出そうとするなら、読めばわかる説明書は、必要不可欠でありましょう。間違った説明書は、出せるはずがないですから、鋭意慎重にならざるをえないです。

得るものより、失ったものの方が大きいような・・・ちょっとテスト更新してみました。


記事更新によって、全記事の末尾にあった、いいねボタンが、削除されました。


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2019年3月18日 (月)

活性の輪

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 日々、いろんな情報の中でくらしている。それがなければ、学習することも進歩も、生きがいさえなくなるかも知れない。周囲との情報のやりとりによって、くらしが活性化する。いわば人は、連鎖反応の中にいる。

連鎖反応は、人によって好き嫌いや理解の深浅、価値判断などが異なり、速度の緩急があります。社会は、そういう連鎖反応の輪が、無数に起きていると見ていいと思います。輪の大小はありますが、その輪の中にいることが、人を活性化させているのだと思います。

だから、人は連鎖反応の輪の外に置かれたら、希望を失うでありましょう。そういう意味では、ココログも一つ輪であります。

先日、官房長官の記者会見において、東京新聞の記者に対し 「事実に基づかない質問を平気で言い放つことは絶対に許されない」 と官房長官が厳しく批難した。というニュースがありました。

まるでエンドレスのように質問を繰り出すことで有名になった記者です。これは、官房長官への質問というよりは、論争を仕掛けている、といってもいいと思います。彼女は、連鎖反応の震源になることを無常の歓びとしているような気がします。

けれども記者会見は、1記者と論争する場ではないはずです。自我の強さが出過ぎることは、心の制御棒が壊れているという気がしないでもありません。

 

 

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2019年3月15日 (金)

通り抜け

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 春 三月晴れ 上野桜木 寛永寺

 少し冷たい風が顔にあたります。

 通り抜けは、なんとなく楽しい気がします。

 たとえば

 街の中でふいにラジオの音

 軽快な、「異邦人」 が流れてきた時のように

 そのわずかに過ぎる感覚は

 時空を移動するような気がします。

 

 

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2019年3月12日 (火)

遠い視線

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遠い視線には安らぎがある。
近い視線は緊張する。

 


「法の支配」の対義語は、何か?
と、一国の首相と張り合うのも中々おろか、
「安倍総理に人生を説かれるほど、私は堕ちていない」 という。

 


だれしも、自分で自分のことは、わからない。
不遜にも、人を試していいともしれず。
なにごとも人のせいにすれば、ずいぶんと楽なもの、
しかし、その道は、おもしろくもないでありましょう。

 


寛容は春風、寛容は自由さ、寛容は可能性。

 

 

 

 

 

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2019年3月 8日 (金)

いかにして秩序を

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 他人無くして人は生きられず、人と人の関係が大事であります。そこに自ずと秩序が生まれますが、人それぞれの思いは異なるのは当然のことで、人間、うまくやっていく以上、ルールあるいはマナーが必要でありましょう。

しかし沖縄の反基地活動家にそれを求めても無理というものでしょう。反基地活動家の人たちが活動する辺野古はゴミだらけ、それを見かねた在日米海兵隊の人たちが、休日を利用して辺野古の海岸でゴミ拾いをしたのであります。在日米海兵隊の公式ツイート(3月5日) によれば、「人知れず黙々と作業をしたのですが、集まったゴミの量にびっくりです。」 ということです。

これは、はずかしいけれど、何だか明るい気分になります。
沖縄の県民投票は、沖縄2紙などが総力で宣伝につとめた結果、辺野古埋め立て反対票が、有権者の約38%でした。38%という数字は、あれだけ強力なマスコミ戦略をもってしてもこれだけか、という感じです。

おそらく半数以上の人たちは、冷めた目でみている、ということではないでしょうか。有効投票の72%が反対票でした。その民意を尊重せよというけれど、民意はマスコミの風に流され易いもの、民意というものは、多くは素人の思い描く願望でありましょう。

一方、選良によって託された国政は、専門家集団の力の結集であります。つまり、この沖縄の民意というものが最善か、と言えば、それは多分にあやしいものだと思います。これは善悪の問題ではなく、内外ともに、いかに秩序を維持するかの問題でありましょう。

 

 

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2019年3月 3日 (日)

心を和らげるもの

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 みるもの、その明るさ美しさが、人のこころを和ませてくれるのは確かです。そしてもう一つ、「教養が人の心を和らげる」 という人もいます。なるほど、それは素晴らしい。

経てきた時間の流れと一体となって、ものごとに美を感じる。あるいは、内なるものに照らして、自らの至らなさを自覚する。そして折り合いもついてきて、こころが和らいでくる。

先ごろは、おさな子に対して血も涙もないかのような事件がありましたが、教養は人のあたたかい血と成り得るものでありましょう。

教養は内なるメモリーです。それはだれでも持っている、調和という機能ではないでしょうか。教養は役に立つ、楽しみも憂いも増す。そしてたぶん、孤独を味わうこともできる。

(代々木公園・・明るくなってきた)

 

 

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