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2019年6月

2019年6月27日 (木)

なんとなく・・・

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 ひとは何かに逆らってみるのも、ひとつの個性としての生き方でしょうか。みんなと同じでは、飽きがきますし、人と違って何か新しいものを発見できれば、うれしいものです。

それは中々難しいことですが、芸術家は既定概念を壊して、人の意表をつきます。たとばピカソのように、あれはあれで偉大なのでしょうが、私にはちょっと理解できないです。

ピカソの真似かもしれませんが、世の中には、伝統が嫌い、全体のまとまりより、バラバラが好き、誇張はもっと好きという人もいるような気がします。

しかしそれは、その人の趣味という感じがしないでもないです。やはり何となく、スタンダードが気分が落ち着きます。

(自然はのびのびとして呼吸している、森林浴は精神安定剤です。)

  

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2019年6月23日 (日)

古民家に流れる時間

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清流のように若く、悠々とした人生の軌跡、
その珠玉の作品に触れると親しみがわきます。
非凡なる足跡と交友の広さは、憧憬の思いがします。
白洲次郎、正子が住んでいた、
旧白洲邸・武相荘をみてきました。

小田急線鶴川の小高い丘にある古民家を気に入り、
手入れをして移り住んだのは、昭和18年のことでした。
正子没後20年あまり、いまは公開されています。
向こうにみえるのは門
手前にカフェと売店
門をくぐると農機具が見え、レストランがある。
敷石道を進むと茅葺きの古民家がある。
黒い柱、磨かれた板敷きに囲炉裏が切ってある。
書斎はそのままにある。
各部屋は、ゆかりの品々が展示してあり暖かみを感じます。
庭は、飛び石がつづき、
清々しい竹林と木々の間を散策できる。

古民家に住むとは、まことに庶民的であります。
ゆったりとした時間の流れを感じます。
ここへ来て、いい時間を過ごすことができました。

  

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2019年6月19日 (水)

外の景色を見ながら

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外の景色をみながら

のんびりとコーヒーを飲むのもいいけれど

一息いれたら立ち上がろう

何もしなくてもいいなら、存在しないのと同じ

否定よりも肯定、不信よりも信じる方がいい

肯定は心の広さであり、道をひらく

否定は楽だけど、断絶か停滞か

不信をあおることしか知らない

得意満面の白スーツ

ままにならない世だけど、肩の力をぬいて

ファイト

(ねこ2匹 以心伝心 お話中)

  

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2019年6月13日 (木)

瑞々しい生気

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 植物は、みな瑞々しい生気をもっている。人が花の景色をもとめるのは、ひとつには、その生気を感じたいためかもしれないです。種をまき、芽を出し枝葉をつけやがて花を咲かせる、ゆっくりとした時間の中でも、日々の喜びもあり、みれば生気を与えられます。

ガクあじさいの花が咲きました。挿し木にして鉢で育てて、2年目のことし花をつけました。ふしぎに思うのは、2個の鉢には、ガクが一重なのに、あと2個の鉢には、八重のガクがひらいた。

親木は地植えで、一重のガクが咲いている。挿し木にすると違う花が咲くものなのかどうか、不思議です。八重のもう一つの鉢は、どこかへ貰われていきました。それもうれしい。

  

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2019年6月 9日 (日)

住む世界が違う

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 気持ちよく生きるには、たぶん、文化がなくてはかなわない。日本は古くから温和な風土をもち、自然に親しむ心の広さと、ほんものを求め、新しいものを作る気鋭を持ち、上下の区別なく良いものは良い、悪いものは悪いという条理を通す心を育んできたのでした。

文化は歴史の中の成長の産物であり、不朽の普遍性をもっていると思います。ところが、歴史の文化をもたない悲しさ、事実を 「事実無根」 という国がある。

うそをつくのは小心もののすること、まったく堂々としていない。その性の悲しさ、その不条理、その卑怯、その低俗、その滑稽、ここに極まっている、と心の中で思うのであります。

  

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2019年6月 5日 (水)

分からないことは、そのままに、

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 人間、良品も不良品もない、という人もいるけれど、その言葉はきれい、あたりさわりがないです。でも、なんだかよごれ役はごめんというようにも聞こえなくもないです。なすすべがない寒々とした殺傷事件が起きるのも、人間、出来、不出来は人の世の運命のなすところでありましょうか。

世の中いくら考えても、どうしていいか分からないことはあるけれど、だからと言って、間違った答えを出して、事を起こしてしまっては、哀れというしかないです。

人は、人類の同胞としてこの世に生まれてくれば、ひとしく生命の尊厳を有している。輝きがなくても、いかに汚れていようとも、また個性に左右されず、尊厳はあると思います。人は滅すれば、仏になるという日本人の考え方は、根底において、人の尊厳を表象していると思います。

 できるなら、分からないことは、分からないままにして置くのがいいのではないでしょうか。 いつか、あんなこともあった、と思える日まで、・・・。

  

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2019年6月 1日 (土)

さわやかな風

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 いまの季節、木陰の下で、さわやかな風は気持ちがいいです。日本の良さは品性でありましょうか。礼儀を知り、思いのたけをみなまで言うのは、はしたないと思う、それも品性のひとつです。

虚構と虚言の中で生きる国もありますが、悲しいものがあります。ルールを解せず、力づくに押し通そうとする国もあり、それもまた、品性というものとは、無縁の中に生きているように思います。

品性とは、さわやかな風といえましょうか。それは、人と人の間でも、あるいはその国の印象を表すものとしても、とても大事なことではないでしょうか。

さきごろのように、幼いこどものいたましい事件が起こりますが、やはり品性というものが尊いものだという空気が醸成されているなら、と思ってもみるのです。品性とは、責任の自覚が自ずとそうさせるものかもしれません。

トランプ大統領は、天皇陛下の英語について、「陛下は英語が大変お上手ですが、一体どこで勉強されたのでしょうか」 と驚いたということです。おそれ多いことですが、天皇陛下は英国でのご留学で、キングズイングリッシュを身につけられたのではないでしょうか。

アメリカ人は、正しくきれいなそのような英語に、コンプレックスをもつと言われることもある。白洲次郎は留学時、イギリスの貴族を親友にもち、日本語より英語の方が上手だった。米国人は一目置いていたといわれている。このことをおもうにつけ、皇居・宮殿での天皇陛下とトランプ大統領の会見の一事は、さわやかな風を感じます。

  

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