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2019年9月

2019年9月30日 (月)

一喜一憂のあとに

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 上りの坂道には希望がある。下りの坂道には幸せがある。そんな気がします。

やがて木々も黄葉し秋がくれば、しだいに葉を落とし、いつしか眠りにつく。ひともまた朝な夕な、行ったり来たり一喜一憂、その変化も楽しい、後には安らぎがある。

圧縮、燃焼、をくり返すエンジンのように、日々安定で軽快に回っていたいものであります。

  

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2019年9月26日 (木)

未来のことは

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 みどりの中に民家が散在する風景は美しい。勝沼ぶどう郷駅は、小高いところにある。ここは、駅の向こうに見えていた 「勝沼ぶどうの丘」、心安まるのどかな風景がひろがります。

 世の中は分からないことが多い。未来のことはもっと分からい。ですが中には、16歳の少女にして国連の場で、ハッキリものをいう人もありまして、それは簡単のことなのか(16歳でも判断できる)、難しいことなのか分からいのですが、ちょっと出来すぎた話しには懐疑的にもなります。

ものごとそんなに悪と定まるはずもなく、単純化できるものでもないと思います。少女の演説、単純にして、断定的で攻撃的、高圧的、そのような言葉はどうしたものか、いつの場合でも、品位を欠いて心に響いてこないのでございます。

  

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2019年9月22日 (日)

丘の上のコーヒー店

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丘の上にある一軒のコーヒー店
静かで、空は広い、小雨が降っている
なにも忘れておいしいコーヒーを一杯、
ゆっくりと味わえば、
しだいに心身がほぐれていく、
とどのつまり、ひとは有情のあつまりであり、
平和なくらしを好むのでありましょう。

  

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2019年9月17日 (火)

秋の空気は澄んで

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 庭のムラサキシキブは、まだ色づいていないけれど、長く弓なりの枝が、時おり風にゆれる。晴天は陰影をつくり、ここにもコントラストのある小さな景色をつくる。

秋の空気は澄んでいる。

停電、断水、

しみじみと、そのありがたさを思う。

  

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2019年9月13日 (金)

パワーは前に進む力

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 パワーは前に進む力、強弱の差はあるけれど誰でももっている。
芸術家やスポーツ選手のように、確かなパワーを持っている人は、一目置かれ、人はその人にあこがれ、期待もする。勇気も湧いてくる。

個人でも国でも、パワーがなければだれもついてきません。パワーは人を豊にします。国会議員という仕事は、心身ともにハードなものでしょう。

理性、それとも情の力が、世の雰囲気をそうさせるのか、よくわからないのですが、自らは落選した党首、結果として見えたのは、国会議員という仕事を軽んじているような気がするのですが。

  

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2019年9月 9日 (月)

虚構はどこまでいっても

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 虚構はどこまでいっても虚構、真実になることなどあり得ないです。しかし、誤解であるなら、いつか解ける可能性がのこされています、が・・。

不適切で、不合理な理屈、不当な非難、(菅官房長官談)をする韓国、そのような行為は自らの威信を地に落とすに等しいと思います。

「戦犯企業の製品不買」 という市の条例を可決したという、なんとおろかな思いつき、集団ですっかり酔っているとしか言いようがないです。
それは怠惰(想像力が貧弱で、後先がみえないため、反日という美酒におぼれている) 以外の何物でもないと思います。つまり、いま現在の欲望だけ、そのむなしさが見える。不真面目というものだと思います。

  

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2019年9月 6日 (金)

過ぎてみれば

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 あるがままにすればいい。流れにまかせればいい。良くも悪くもときの運は、波のうねりのように、浮きつ沈みつくりかえします。
無限宇宙の渦の止まるはずもなく、抗うすべなく時は流れて、運命のいたずらそのままに、一時の喜びも哀しみも過ぎ去って、いまは何ごともなく生きています。
幾星霜の中に世の憂いあるを知り、行きつくところは、昔はものを思わざりだったかも知れず、なお学ぶことのあるうれしさを思います。

喜び、悩み、怒り、苦しみ、楽しきこともまた、すべて後の栄養剤であり、清涼剤であります。

  

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2019年9月 2日 (月)

清浄な空気の中で

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 ものごといいのか悪いのか、自分を信じるしかないけれど、ほどほどを知って、ほどほどにすれば、やはり、ほどほどが楽、本当のことは、ほどほどの中にあるような気がします。

人生は緊張と緩和の繰り返し、欲望と抑制と戦いながら、日々、身も心もけがれていくならば、ときには自然の生気の中に入り、清浄な空気に洗われることも必要で、芭蕉も漂白の思ひやまず、と自然の風景をもとめたのであります。一日、野山の風景を見るのも、また楽しいものであります。

  

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