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2019年12月

2019年12月30日 (月)

それでもこの一年、

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 歌は世につれ、世は歌につれ、という心やさしい時代もあったけれど、それは昔のはなし。いまテレビの力は絶大で、ほんの一瞬にすぎるコメントが、人の心をとらえてはなさない。

それを知り尽くした何者かに乗っ取られたのかもしれないけれど、世はテレビにつれ、という感じがします。さもおかしく、時に辛辣に流されて、不信とお騒がせ、がはびこり、人心を曇らせまどわす。

善良なるものに不信が不信をよぶような気がします。それは、良薬口に苦し、という時代の必然かもしれないけれど。
それでも、この一年、日本は信頼にたがわず盤石の姿だったと思うのでございます。

  

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2019年12月28日 (土)

秋がおわった

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 秋がおわった。
 
一面の落ち葉に 陽が射して明るい。
 木々の影は 長く落ちて
 あたりは からっとして さっぱりしている。

  

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2019年12月24日 (火)

憂うこともない

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 男は男気、女は女気、それで世の中はうまくゆく。
『男女平等度ランキング、日本は過去最低121位』
さてさて、「男女平等度」というもの、
社会参加の人員で計れるものやら。

そんなもので、進んでいるとか、遅れているとか、でもあるまいに。
またまた、誇り得るものでもおそらくない。
たぶん、有意の時の流れと芸術文化の醸成が、
ひとの心を豊かにする。

男気も女気も、長い歴史のあるところに生まれる。
いやいや121位、何のその、憂うこともないです。

  

 

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2019年12月20日 (金)

昔みた映画

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 まじめもいいけれど、人間らしく雑に生きるのもいい。その方が楽、つまり、うまくいくことが多いと思う。日本の好きなところを一つだけ上げるとすれば、悪いことはしない、ということ。

つまり、情をおいてでも、道理への誠実に従おうとする古くから受け継いだものがある。無情な不条理に会おうとも、ありのままを受け入れることは、気丈になれる。肯定的にとらえれば、先がみえてくる。
そうは言っても、テレビを見れば、悪いことも厭わない人も、中にはいる様な気がする。

最近BSテレビで放送されたイタリア映画、「道」 をみた。昔みたのは高校の時だった。
ジェルソミーナは、ちょっと変わった女の子、売られて旅芸人に連れていかれる。好奇心もあり、ありのままを受け入れて生きる。ふとした事件が元で、旅芸人はラッパと小銭を残して、ジェルソミーナを置き去りにする。

それから歳月が流れて、ジェルソミーナは、身よりもなく、亡くなったと、旅芸人はある街で聞かされて、ひとり海辺で慟哭する。
思い出しても目頭があつくなる映画だった。ジェルソミーナの映画音楽は、あのころ、よくラジオで流れていた。

  

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2019年12月17日 (火)

あと少し

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何ごとも 欲張らず やり過ぎず 遊び過ぎず

ちょうどよい加減が いちばん。

ことしも あと少し

  

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2019年12月13日 (金)

何かが欠けている

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 謙虚で穏和なひとがら、熱くならずに熱き心を感じさせる人、そういうひとは、好ましい感じがします。人は人を理解するところに喜びがあるのでありましょう。

たぶん、そのひとに、ものごとを公正にみる目、ひとびとにたいする礼儀正しさが物腰にあらわれて、ひとの心をひきつけるのでありましょう。

グレタさんとよぶべきか、グレタ嬢とよぶべきか、みていてそんなものが見受けられないのは、ずいぶんと哀れな感じがするのでございます。

  

 

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2019年12月 9日 (月)

葉ぼたん

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 しっかりとよって立つものを持たなければ、根なし草になってしまう。受け継いだ歴史の上に立って大地に根を下ろしていれば、自ずとのびてゆくものを、ただその時の風にまかせて浮草のように漂う。そんなもの、大樹に育つはずもない。

急に寒くなったり、また戻ったり、冬か秋か、季節の変わり目は行ったり来たりする。今日はやや寒さがゆるんだ。
夏に蒔いた葉牡丹の鉢植えは、柔らからな葉を重ねはじめた。

ところが、昨日見ると、葉がむざんに喰われている。ひよどりは、いつも垣根にとまって四十雀やめじろを威嚇する。奴が食べたに違いない。なにより証拠は、そばにあった小さい鉢が倒れている。
かれは、それを止まり木にしていたのだろう。ひよどりも、よって立つものなくば、食にありつけない。
(旧江戸城 清水門)

  

 

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2019年12月 5日 (木)

読解力

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 学力調査の結果、若者の読解力が落ちたというけれど、できる人もいれば、できない人もいるわけで、そんなに問題ともおもいませんが、若者にかぎらず大人もおなじような気もします。

テレビで流すほんの2、3秒程度のコメント、立民の蓮舫氏の言葉が耳に残ったのは、「・・微塵もない」というそのひとこと。たしか、誠意のかけらもないと首相を糾弾するものだったけれど、その言葉、当を得ているのか。なにをもって、どこからでてくるのか、わたしには、その読解力がありません。

丁寧に説明せよ、といいながら、聞く耳もたず馬の耳に念仏もよくあることなれば、元より分かってもらえるはずもなく、結局、微塵もないという言葉になるのか、それとも、高度な心理戦術なのか、わたしにはわかりません。

でもまあ、そんなことは小さい。これから先のこと、どうあるべきか、あるべき姿は何なのか、お互いに胸に手をあててみれば、ひとのことは言えない身なのではないだろうか。どーんと大きく構えていれば、どれだけ健康的であることか、と思うのであります。

  

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2019年12月 1日 (日)

相対的なもので、

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 何年生きてきても、人生は無駄なことばかり。何ほどこともできはしない、でも楽にすることは大事で、それが人の心を安らかにし、若さを保つことになるかもしれません。
無駄は、人生をなめらかにする潤滑油でもあります。あそびのない歯車はまわりません。

いま、桜も思わぬいじめ方をされて悲しんでいるかもしれませんが、あれは一つの絵になっていて、あれはあれで、役立つ面もあると思う。そんなところに税金をつかうのはおかしいという人もあるけれど、野党の一部も遊びすぎのような気もします。

ものごとは、相対的なもので、善悪なかなか定まらぬものであります。歳費だけはいただいて身の暮らしを立てている、わいわい言うだけで、建設的でない議員さんの集団もいらっしゃるようで、選良とは言え、足をひっぱるだけの、それはもう多大なロス、桜のその比ではない。歳費の壮大な無駄と思えなくもないのであります。

(横浜・海の公園)

  

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