2010年11月23日 (火)

目的あれば迷いなし

101123b

Line01

わがままに筋の通らない非難すれば、やがて火の粉はわが身にふりかかる。北朝鮮は、かって高校授業料の無償化の適用除外は、
民族差別だ、と言って断固抗議すると言っていたけれども、日本が無償化適用を決め、事実と倫理に反する教科書の改訂と、支援金が確かに授業料に当てられているかどうかの透明化をもとめたら、こんどは、「条件つき無償化は民族差別だ」 と、またしても断固拒否すると言っている。

国家はよりどころである。朝鮮総連の傘下にある人たちのよりどころとも、また祖国にあるであろう。

広い意味でその人たちを含めて、日本の国家の一員とみるならば、国家のなすことについて、国外からの内政干渉による圧力は不当なものだ。

けれども、朝鮮学校が自国の生徒に祖国からの思想教育を行うことは、それが日本の教育あるいは感情と相容れないものであっても、それはそれで、互いに主権を尊重すれば許容されるべきものであろう。

無償化の賛否が乱れるのは、国の政策として何のために行うのか、という目的を明確にしていないことに、問題がある気がしている。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年10月 5日 (火)

寛大なひと

101003b

Line01

フジ子・ヘミングさんの日本の自宅を訪ねるテレビを見ました。訪れたのは、安住紳一郎さん。たくさんの猫たちがいる部屋もある。広いフローリングの床、住みごこちのよさそうな雰囲気、めずらしいものを発見していく安住アナも、見るものも興味津々でした。

そこで、スタッフからスリッパを渡され、はっとする安住さん。靴のまま入っていたことに、初めて気づき、「入っていいと言われたもので・・・」と恐縮しきった安住さんでした。

「いいのよ、全然構わないのよ」 「いいのよ」 とフジ子さん。

構わないの、と繰り返すその言葉に、彼女を貫いている一本の筋のようなものを見た気がしました。
それは、何年か前にテレビに出ていたフジ子・ヘミングさんの一つの場面を想いだしたのです。
東欧の国でどこが好きですか、と聞かれて、

  「そうねえ、床にたばこの吸殻を落とせるところって、いいわねえ。」
  「そういうのって、寛大じゃない。」

と、どこの国とも言いません。日本国籍も与えられず、避難民として再渡欧の手続きせざるを得なかった、ことなどと重ねあわせてみれば、だれを恨むでもない。大らかな性格のようす。
寛大さを求め、自らもその寛大な心をもち続けて生きてきたような、彼女の人生を想わせるのでした。

もうひとつの想い出す場面は、ソリストとして演奏しているとき、

  「オーケストラのおじさんが涙を流しているのよ」
  「観客の中にも泣いている人を見たわ」
   ・・・・・
  「自分で何かを想い出して、涙をながしているのよ」

と、ひとごとのように言ったのでした。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年9月20日 (月)

判断をあやまる感情論

100920b

Line01

朝鮮学校への授業料無償化は、親の負担を軽減するものであって、子供たちのためのものではないでしょう。新聞で読みましたが、社民党の阿部知子さんの無償化への賛成論は、つまるところ、子供たちへの感情論であるように見えます。

「子供たちが、どれほど傷つくか、差別を受けた、排除さえたと感じるだろう、学ぶ権利を第一の考えてほしい」 と、さらに、「(無償化によって)人は追い詰められれば追い詰められるほど、殻に閉じこもってしまうものではないか」 とも述べられています。

無償化しないことが、差別にあたるかどうかは、異論のあるところ、それは別にして、差別が悪であるかのような考えは、必ずしも正しくはないと思うし、殻に閉じこもるような、ひ弱なものでもないでしょう。

差別によってしか、学ぶことができないことも多いです。叱ることがそうであり、競争させることがそうです。ほめることも大事だが、叱ることはもっと大事。おとなの世界でも同じ。阿部知子さんも「朝鮮学校の教育内容に問題がないとは思っていない」 と言われます。

教え方が間違っているなら、叱るのことこそ責任ある親愛のあかしとなるはずです。
無償化するかどうかは、国が行う政治の問題であり、子供たちの感情、あるいは自分の感情をその理由にするのであれば、政治家にあっては、あやまりではないか、と思います。

政治に感情が入ると、判断を誤り、道理が引っ込み無理が通る。と思うからです。かって沖縄の集会で、生徒を壇上に立てていたことがありますが、「私のおばあちゃんがウソを言っているというのか」 と、あの映像を思い出します。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年9月13日 (月)

今は言わない?

100912b

Line01

いわゆる、ばらまきの財源について討論する報道番組を見た。
無駄を削るとか、埋蔵金などという一時的な財源ではだめだ。恒久的な財源がどこにあるのか?という問いに、

森ゆうこ議員は、財源はある。ときっぱり、言い切った。
あるというなら、在り処をはっきりさせなければ、妄言にひとしく虚言ととられてもしかたない。しかし、そのもの言いは、確信に満ちたものがあった。

どこにある?と詰め寄られるて、
不遜にも、「いまは言わない」 と言い放った。
国の疲弊によって、借財の方が多いことが明らかになっている。今は言わない、とは、どういうことであろうか。

そこに重大な意味の秘されたものを感じる。多数党になって次第に表れてくるその考えていることは、予期しなかったことが多い、冗談ではなく、本気で考えていることが分かってきた。

その多くは、以前には、表立って言わなかったことだ。
まさか、防衛予算が無駄とは、信じたくもないのだが、小沢一郎先生も、財源はあるとおっしゃっていたが、それも明かしてはいない。

Line01_2

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 8日 (水)

闘う男

100905b

Line01

幕末から明治にかけて男たちは、闘志に燃え命をも惜しまず活躍した。魅力ある男たちだった。よく勉強し、深く考えた。万国の法に照らし律儀に行動したのは、竜馬に始まる明治の男たちだった。

ところで、今の時代の平均的な女性の思考のイメージは、男性にくらべ表面的であり、情感に左右されやすい、と思うのだが、今や一部の男たちは、女性化したように思う。男のものの考え方が変わってしまったのだ。

情報の洪水におぼれ、何が正しいのか自ら判断できなくなった。平和なくらしがつづき、脳が怠惰になって、楽な方に進むようになった。人の考えをもって、それに同調することが多い。あたかも自ら考えたように行動する。
近隣諸国の顔色ばかり気にし、
謙遜、謙譲を美徳とするあまり、自ら国を卑下してやまない。
これは、風土と価値観の異なる国に対しては、誤解され、笑いこそすれ、信頼と理解をえられるものではない。

他から反論されると、理由をつけて辻褄を合わせる思考に変わった。過去の断片と対比する理由づけは、浅薄であり、対比の不適合が目立ち、正当論は破綻する。

政治は感情論ですすんではだめだと思う。感情を優先するのは、表面はよく見えても、自他共に強くは、なれない。考えが表面的で情感に左右されやすいという典型の例として、女性党首にそれが見られる。闘うことをわすれ、男の考えも女性化しつつあるのではないか。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年6月 7日 (月)

聞く耳もたなければ、

100606c

Line01

いわゆる抑止力とは、バランスということでしょう。バランスがとれていれば、安定状態にあって、それは永くつづく力をもっています。しかし、いずれかが突出した力をもつようにになれば、その強い力に淘汰されます。

それは、バランスの崩れた状態を生み、脅威が生じます。中々もとに戻ることはできません。これから進もうとする道が、目に見えるかどうかは、個人差があって、なかなかよく分かりません。

バランスがくずれることは、長期的、大局的に利害に影響するものであれば、行うべきは、国民の目線ではなく、情ではなく、政党の優位性でもない、でしょう。
深い洞察と、知力をめぐらした政治的判断によって実行されなければならないと思うのです。

それは、異なった意見にも聞く耳をもたなければ、判断はむずかしかろうと思います。いまぼくは日々、情に流されながら迷い道からぬけだしたいと思っています。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

ひそかな楽しみは、

090607b

 

 批判することは楽しい。なぜだろうか。日常、ぼくの不満のやむことがない。
もどかしい世の情勢をなげくのも、かの独裁者を非難するのも、上長への不満も、自分の尺度に照らしてのことです。

自分の信じるものを、よりどころにしています。でも、自分は正しい、と思うことは、果たしてそれが絶対なものかどうかは、ぼくにはわかりません。

ひとは単調さに耐えられないようにできていて、いつも変化を求める。その結果として、はけ口が不満として出てくるのかも知れません。
もしかして、他を批判することは、生きるに必要な無意識にでてくる自然な自己コントロールの摂理かも知れません。

ひそかに楽しんでいる面もあるからです。
不平不満は少なからず自分の弱さをカバーして、なぐさめにはなります。
けれども、それを聞かされる側に立てば、どことなく哀れみ覚え、期待を裏切られることになるのだろうと思います。

「ひとのことより自分のことを考えよ」と著名人の言葉は、ぐさりと胸に刺さりますが、他を批判するのはたやすく、なかなか自省するのは難しいです。そこまではわかっています。

 

| | トラックバック (0)