2012年7月22日 (日)

原風景の記憶

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にっぽんの原風景は、人それぞれに感じるものがあり、人生において欠かせないものではないかと思います。どこかでカッコーがなき、木立の中でひぐらしが鳴く。その心象風景がこころのどかかで、ノーベル賞のようなものにつながっていく、ということも、おそらく有りえることだろうと思います。

かって、伊藤久男は、山のけむりのほのぼのと、たゆとう森よあの道よ、幾とせ消えてながれゆく・・・、と唄っていますが、こういう風景の記憶は、こころを豊かにします。
つぎからつぎへと問題がおきるにつけ、それほどに風景をみることの大切を思うのですが、いま、再生可能エネルギーとして、太陽光発電に期待がかかっています。あの無機質な黒い空間は、発電所の景観とくらべてあまりにも殺風景です。鳥も逃げていくのではないでしょうか。
アメリカのような広大な土地なら知らず、この狭い日本、年間の快晴日数は、わずか平均28日、あのパネルは、どれほどのものをもたらすだろうか、設備投資の割には利潤を生まない、あのパネルによって、大切なものが失われるのではないか、思うのです。

 

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2012年7月16日 (月)

変質する言葉

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生活とは、生きることの喜びであるなら、人それぞれにやり方はいろいろでしょう。生活は、自ら求めていくもので、与えられるものではない、ということだと思います。国民の生活が第一、と言います。では、第2、第3は何があるの?国民の財産?それとも名誉、あるいは義務や権利、誇り、国民の正義は、どのへんにあるのでしょう。いやいや、やっぱり、国民の道義が第一、4億円ぐらい直ぐに出る、生活にはこと欠かない先生には、この言葉を贈りたいです。

それはともかく、国民の生活は、政治によってなすものではなく、自らの意思によるのであって、国民の生活が第一、と人々が政治に生活を求めるなら、それは自立心をうしなって欲求不満も自制できず、ローマの衰退に同じパンとサーカスへと堕落の道に進むことになるやも知れません。
しかし、そんなことには成り得ない。だれもが何だか浮薄な言葉と、感じ始めているからです。使われ方によって、語感は時とともに変化しますね。

 

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2012年7月10日 (火)

平穏は風波のあとに

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豊穣な漁場がある、漁場支援の開発をやったらいい、それで足りなかったら、何をやるか、国民に考えてもらえばいい。都は、漁業振興や自然保護などのさまざまなノウハウをもっている。と石原都知事は、尖閣諸島の購入について夢のある利用方法をのべています。それに共感し13億円余の寄付がよせられ、現実化に向かって動いています。どうみてもいまさら国が買いたいと言っても、それは無理そうな話しに見えます。無理を承知の上で、あえて言うところの意味がいまひとつよく分かりません。

野田首相は、平穏かつ安定的に維持、管理するという観点から買いたい。ということのようですが、そこには、尖閣の活性化の言葉はないです。ここで、一国の宰相として主権という言葉を胸に刻んでいれば、平穏という言葉は、出てこないはず、と思うのですが、「平穏」、つまり、裏を返せばどこかにに気をつかうということですが、いままで気をつかった結果として良くなったという感じはないです。

あんた日本人?と言いたくなる信じられないようなニュースが流れ、もう疑心暗鬼になってきました。よもや、分断作戦の糸にひかれた、というわけではないでしょうね。きのうの朝、夢の覚めぎわに、かの国に言われてやったのか、という疑問がわいてきて、そう思ってみると、かの国の反発も、脚本どうりにやっているな、と思えてくるのでした、今は、それも薄れてきましたが、いくら何でもそれはないか、・・・・

 

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2012年7月 1日 (日)

慣性の法則とスピンアウト

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道が曲がっていたら歩く方向を変えなければなりませんが、人間は一度歩み出した方向は、なかなか変えられません。これは慣性(惰性)の法則に従うものです。
この場面を車でいうならば、道路の外に出てしまうスピンアウトです。その原因は、2つ。一つは、前方不注意です。わが道を過信するあまり、いつの間にかカーブにさしかかっていることにも気づかない。もう一つは、運転テクニックのまずさが原因、つまり機を見てブレーキとハンドルの操作のコンビネーションが不適切なのです。

これは、取りまきをはべらせて玉座に安住し、諫言を聞かず甘言に笑顔すれば、年をとるほどに鈍くなりますね。
小沢先生の車は、カーブにさしかかっています。先生、選挙と先立つものが目先にチラついて、視野と身体が硬直、前途ある者を乗せて、まさにスピンアウトの危険です。

 

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2012年6月24日 (日)

民意の行きつくところ

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感情は一時の情感の高まりとするなら、それは喜怒哀楽それぞれに血行をよくし心身にとっていいことに違いないです。一方で、感情のままに動くとすれば、エゴを生みやすくしばしば、独善に陥りやすいです。それが大衆の力となったときは、その目的は定まり、もはや判断力は必要なく、目は見えず、耳も聞こえない。

6月20日の東京都の本会議場、32万名の署名を集めた原発住民投票条例は、傍聴席から怒号が飛び騒然となった中で否決されたということです。大衆よりも指導的な立場が高度な判断をしたということでしょう。

大新聞が自ら思うところを実現するために、メディアという立場を利用してペンを振るい大衆に共同幻想を抱かせ、誤った方向へと歩ませる。その上で、「民意反映の回路を増やせ」、と朝日(6/24社説)はいうけれど、そういった大衆迎合へと政治が向かえば、秩序は混乱し、民意という疑似民主主義へと落ちていく。
大事なときに政治の活力は、しだいに衰えていくしかないと思うのですが。

 

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2012年6月17日 (日)

あきらめたらお終い

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事故は克服される。それが人間であることの証しであろうと思います。挫折ほど無念なものもないです。事故の情景は、人に畏怖をうえつけ呪縛へと誘います。
不意に、安全と大きな価値がくずれてしまうと、驚愕のあまり立ち直りは容易ではありません。しかし、いつまでもそこに拘っていては、疲弊の癒えることもなく、道も拓けないです。

ともすれば現実を前に、もうだめだ、と思いがちです。もうだめだ、というあきらめるのは簡単なことです。原発再稼働に慎重な判断を求める国会議員の署名に鳩山さんも小沢さんも名を連ねているということです。
国会議員たるもの、本質が見失って市民と一緒になって臆病に取りつかれているときではないと思います。まずは、立ち直って歩き始めなければならないときです。為政者は、日本の技術を信じること、大局を見る冷静な判断力が必要です。日本のエネルギーが弱くなれば、景気は後退しつづけ、弱者はふえるばかり、凶刃をふりまわす事件が起き、賞賛される日本の安全は衰退するばかりです。

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2012年6月10日 (日)

人生の放物線

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オバマ大統領は幼いころ母につれられて鎌倉で抹茶アイスを食べたそうです。その懐かしい思い出の地、日本を訪れ鳩山首相と会談しました。鳩山首相は、「私を信じて欲しい」、と言いオバマ大統領に期待を持たせましたが、その翌日、大統領を残してシンガポールに飛んだのです。
そして、有ろうことか、「向こうがどう思おうと・・」と言って約束を反故にする発言、みんなをびっくりさせました。

その後の氏の言動の異常さは、思考を持たないその時その時の気まぐれな幼児性を思わせます。異常を異常とも思わないところが氏の異常に見えるのですが、先日の丹羽中国大使の尖閣諸島は日本の領土ではないかのような発言も、理を失い怯えているように見えます。その丹羽大使は、習近平国家副主席に対し、尖閣購入の寄付が集まることについて、「日本の国民感情はおかしい」、という発言が報道されています。その異常さは、どうしてなのかと思います。

時には、人の成長というのは、放物線を描く場合があるのではないでしょうか。あるところまでは、有能であっても頂点を過ぎると次第に思考力が低下し無能に向かって下降していく、その曲がり角を、自他ともに自覚できないところに悲劇が起きるのではないでしょうか。ひとごとではないです。気をつけなくてはと思います。

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2012年6月 2日 (土)

心ある人たちの気概

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世界で最も速く凋落する日本、になるのだろうか。あれほどに熱をよんだ政権交代であったが、その後の迷走にも慣れてしまった。追い打ちをかけるように大震災が起き、この1年余で人心はすっかり冷めてしまった。
「大飯原発・再稼働はあきらめよ」、と朝日社説は言う。毎日も然り。このまま、原発ゼロの日がつづくなら、産業や人心の疲弊もさることながら、貿易収支の赤字は、累積していくばかり。日本の発電能力は、2億8千万キロワット、韓国の3.5倍、そんな日本の原発がゼロとなれば、沈みゆく日本になりかねません。
それは、アジア全体への影響もさけられないということになれば、日本の責任も大きいものがあります。化石燃料は、海外から購入することを思えば、行くつく先の予感めいたものが見えてきます。原発は安くない、という人もいますが、しかしそのコストは外には出ていかないのです。

ニュースにならない巷のニュースを流して不安をあおるテレビの影響は、少しずつわれらの心の底に沈潜していく。その潜在的な心のやまいは、いまのままでは時間という処方しかありません。
女子バレー韓国に惨敗・・。涙止まらぬ吉田沙保里・・。韓国の熱い壁に日本サッカー全滅・・。セルビアに完敗男子バレー・・、と新聞が伝えています。

アスリートに何が起きたのか。純粋な調和ということを知らない病的なまでの脱原発論が、人々に与える目に見えない影響も少なからずあったのではないかと思います。はたして、ロンドン五輪に影響しなければよいが。そんな中で一筋の明るいニュースは、「尖閣購入の寄付10億円突破」であります。心ある人たちの気概、その流れは、かならずや報いられるでありましょう。

 

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2012年4月15日 (日)

散りぎわの潔さ

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一昨日は風がつよく桜の花が降るようでした。この時季ならでの見事さでした。きのうは一転して冷たい雨に打たれていました。春、桜の華やかさは、何か嬉しいことが始まりそうな、そんな気分にしてくれます。
さくらは他の花にくらべて萎れることもなく、その散りぎわの美しさがあります。散ってまで地面を明るく敷きつめます。はらはらと枝から離れて舞う様は、みる人に惜しむこころを思わせます。散る桜の見事さ、その風情の潔さが、この国の精神風土を生んだような、人もわれも散りぎわは、かくありたいと思います。

ところが、桜は軍国主義の象徴と、こどもたちに教える先生がいて、ある遺族の人が、桜咲く靖国神社へ参るのをやめたという話を聞きました。英霊となった人たちは、どれだけ桜が恋しかったか知れぬものを、ねじれて病的なまでの短絡、精神の分裂した自分勝手な先生もいたものだ。もしかして精神風土の異なる地から渡来した人かも知れぬ・・・。
それでも先生である以上、子供たちをゆだねるしかありませんが、いずれ子らは気づく時がくると思います。桜の花が美しと思う健全な精神を身につけて欲しいと思います。

 

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2012年4月 8日 (日)

虚言の文化

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人工衛星だという北のミサイル発射はまちがいないようです。また、米ニュージャージーの図書館にいわゆる慰安婦の碑が建ち、日本軍によって20万人が強制連行された、と刻まれました。そのような数字は、おおよそ不可能であり必然性もない、うその作りごとでしかないです。高齢となった生き証人という人たちが、時とともに前言をひるがえすようでは信じるに足りないです。

何故にそのような行動をとるのか、これは歴史と風土によって生み出された彼の国の人々の生き方の業ではないかと思う。人間の欲望を満たすための手段として、彼らには志の高さだけでは、どうしようもないということであり、彼らの気分にとって、都合よいものであれば、うそも許される。勝ち抜くために、恥とは思わない。むしろ手腕の高さとして誇るべきものだ。騙される方が愚かであり、弱者だとういう論理。これは、中国や朝鮮半島の考え方であり文化である気がします。人工衛星がミサイルであっても、一向にかまわないという論理。

一方、日本は清潔好きが一つの文化と言っていいです。しかし彼らはそれを理解できない。日本がどうして、そうなのか清潔だけではどうしようもないと笑っている。

日本軍が強制連行したという証拠は見つかっていない、と歴代の内閣が認めている、と3月26日の予算委員会で山谷えり子議員の指摘に、玄葉外務大臣は、
 「おっしゃるように、証拠は出ていないけれども、否定はできない、ということだと思います」
と答弁しました。まるで、証拠がないので強制連行があった、と言っているに等しい。文化の劣化、自分だけの清潔、その過敏が高じて論理破綻しています。

 

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